ボケが始まったわけではない。最近いろんな歌がごちゃ混ぜになる。
「月夜の浜辺で ほろろ ほろろ ほろろほろほろなく鳥は」という歌を口ずさむが、どうもいくつかの歌が混ざってしまっているらしい。
調べてみると、「蛙の笛」と「「浜千鳥」と「ほろほろと」であった。
冒頭に書いた歌詞を、「蛙の笛」のメロディーで歌っていたのである。
歌いだしの「月夜の浜辺」は「月夜のたんぼ」であった。それに「ほろろ」ではなく、「コロロ」であった。
「月夜の浜辺」は「浜千鳥」の冒頭の、「青い月夜の浜辺には」から。「ほろろ」は、「ほろほろと」の最初の歌詞である、「ほろほろとなく山鳥の声聞けば」の「ほろほろ」のようであった。
3つの歌はすべて私の好きな歌である。無意識の内にいっぺんに好きな歌を歌っていたことになる。声帯の手術以後あまり声を出せないので、正確には口ずさむ程度いうことである。
「蛙の笛」には不思議がある「コロロコロコロなく笛は」と歌詞にあるが、蛙の声がなぜ笛なのだろうか。
ゲロゲロと聞こえる蛙の声はどうしても笛の音には聞こえない。「あれは蛙の銀の笛」という歌詞もある。
とはいえ「あれは蛙の子守歌」という詞が好きである
「蛙の笛」は小学校の時に歌ったと思うが、「浜千鳥」と「ほろほろと」は中学生の時だったと思う。いずれもさみしい歌である。
「青い月夜の 浜辺には 親を探して 鳴く鳥が
波の国から 生まれでる 濡れたつばさの 銀の色」
無理して一緒に歌っていた歌の共通点を探すこともないが、「蛙の笛」の銀の笛というのは不自然であるし、浜千鳥の銀のつばさというのも不自然である。
銀の笛とはフルートということになるが、多分田舎の田んぼでのことである。笛はフルートではなく篠笛あたりではないだろうか。
浜千鳥もネットで調べてみるとつばさは茶色である。
いずれも月夜。銀の笛と銀のつばさ。なにか深い訳でもあるのだろうか。
「ほろほろと 鳴く山鳩の声聞けば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ」
「ほろほろと」の歌詞は行基上人の作であった。
簡単な歌詞のようだが、行基上人の作と知るとにわかにありがたみを感じるようになる。
「ほろほろと」は、父と母を憶う。浜千鳥は親を探している。ここにも共通するものを感じる。
虫の声や鳥の鳴き声に人生を託するのは、日本人固有のことであるという説がある。
行基上人の鳴く山鳩以来、蛙や千鳥に日本人は思いを託してきたのだろうか。
歌を忘れたカナリヤは、後ろのお山に棄てるとか、背戸の小藪に埋めるとか、柳の鞭でぶつとかという歌があるが、最後の詞では、「象牙の舟に銀の櫂 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す」となっている。
動物虐待ともとれる歌詞であるが、ここにも月夜と銀がある。
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