同性婚を巡る訴訟で13日福岡高裁は、札幌、東京両高裁に続いて現行規定を違憲と判断した。高裁段階ではこれまで全て違憲判決が下されたことになる。
裁判所のトレンドは、「同性婚イコール合憲」ということらしい。
正直なところ、同性婚を認めないことが合憲なのか違憲なのか、私にはどうでもいいことである。私は同性愛者ではないし、高齢の身、これから同性愛に関心など持つ気もない。
世界の国には同性愛自体を禁止している国もあるようだが、日本は禁止していないのであるから、合憲だろうが違憲だろうが、当時者は愛しあえるわけである。それで十分ではないか、と私は考えている。
同性婚の主張は、男女間で法律的に認められた婚姻関係を、「同性間」でも同様に認めてほしいということである。
婚姻関係から生じる法律効果は、子供の養育権とか、相続、財産分与請求といった財産権に関することが主なものだが、配偶者でしかできない行政的手続きというのもある。入院手続きなどもそうらしい。
同性というカップルに、そこまでの実態が存在しているということを理解することが、同性愛者でないものには難しい。同性愛というものは頭で考えるものではないからである。
婚姻はなんといっても子供が生まれることを前提としている制度である。
それをそのまま、子供が生まれるはずがないカップルに適用することはありえない。
同性カップルに共同生活という実体がすでに確立しているならば、法人格の理屈などによって同性カップルに法律上の主体を付与すればいい。
私はリベラルでいたいと思っているが、テレビのコマーシャルで着物を着て厚化粧している美容研究家と称する男や、以前は町のチンピラではないかと思われる女装タレントを見ると、同性婚問題などについて考える気力を失う。
人生の経験が足りずに高齢者になった、ということかもしれないが、同性愛の経験などしたくもない。
しかし男なのに実は女であった、という人に、男であることの苦しみがあると聞くと、少々気持ちは動く。
繰り返しになるが頭で考えることではなかった。
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