義父は55歳で定年退職した。昭和40年代の終わりの頃のことである。
定年で役職は解かれたが、どういう雇用形態を嘱託というのか知らないが、そのまま同じ会社に嘱託として勤務し、結局70歳過ぎまで働いた。
その間60歳を過ぎて単身赴任を命ぜられ、10年ほど名古屋のワンルームマンションで一人暮らしを余儀なくされた。給料は現役時代の半分にも満たないものであったらしい。
昨今定年の延長や廃止、再雇用が検討されているというが、それは年金支給開始時期の繰り下げに伴ってのことである。
年金の繰り下げ受給を制度化した以上、その間の雇用の手立てをしなければ批判は免れないからであろう。
しかし義父の場合がそうであったように、定年の意味は今も昔も変わることはないのではないか。つまり定年とは企業にとってのメリット以外のなにものでもないということである。
定年が延長されたとしても正規雇用が続くとは思えない。給料はダウンすることはあっても上がることはもちろん、現状維持すらあり得ないであろう。そうであっても人は働かざるを得ない。
年金の受給開始を繰り下げれば割増しになるという。遅らせば遅らすほど受給額は増え、期間によっては倍近くになるらしい。
まるきり犬の「まて」である。苦肉の策ということだと思うが、そんなことで年金制度が今後も維持できるとは思えない。
私は自営で、景気にあまり左右されない仕事であったから、この先も仕事を続けるつもりでいた。
元気なうちは働くものだと思っていたし、仕事をしない生活というものが考えられなかった。
会社勤めと違い、嫌な上司や取引先との面倒な付き合いもないし、70の半ばになっても働いて毎月収入を得るということは、それこそが人生だと考えていた。
昨年の秋に喉頭癌を発症し、4月に手術をして、5月には頚椎症性脊髄症の手術をした。3月に仕事はやめたが、今後の療養のことや仕事の依頼人への責任を考えると、仕事を続けるという選択肢はなかった。
今となってみると、そんなに急いで仕事をたたまなくてもよかったのではないか、と思うようになった。喉頭癌が今後どういうような病状を表すのか、予断はできないが、幸い初期ということもあり、今のところ変化はない。
頚椎症性脊髄症の手術の効果はあまりかんばしいものではないが、医者の言うように命に関わる病ではない。差し迫った身の危険がないとなると社会活動というよりも、収入に対する未練が残る。
仕事をやめてみて、初めて何もすることがないことに気がついた。以前は暇といっても仕事があっての暇である。温泉に行って一日ボーッとしていても、それは暇ということではなく充電と言った。今は朝から寝るまで暇である。
定年後に離婚するケースがかなりあるという。原因は家にいる亭主のうっとうしさ、うつろな目つき、長年の積もり積もった不満だそうである。何とかしなければならない。
「子つめたく、職なく、友なく、趣味もなく。妻と合わねど死にたくもなし」カツオ君はこのおじいさんにあこがれたが、町子さんの真意はどこにあったのであろうか。(了)
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