通所リハビリというところに見学に行ってきた。以前地域の総合病院であったが、何年か前に建て替えをして介護施設になった。我が家から10分もかからないところにあるから通うには便利な場所である。
建物も天井が高く清潔そうである。10時に行ったが大勢の人がいろいろな訓練をしていた。
担当の女性職員から丁寧な説明を受けた。月に4回。1日3時間半施設を利用できる。マッサージは月に3回。1回が15分くらいだそうである。
「ここはご自分で努力して不自由な体を治すところです」、という説明を受ける。皆さん真剣に健康器具に取り組んでいる。おしゃべりなどしている人はいなかった。
私の場合支援1、負担1割ということで費用は月額4,000円くらい。
週に1回体を動かすくらいでよくなるだろうか。少なすぎるのではないか。しかしやらないよりはいいかもしれない、などといろいろ考える。
ひと通り説明が終わり担当者が名刺を差し出した。字が小さすぎる。新聞活字で最も小さいとされる6ポイント活字よりももっと小さい。
年寄りのための施設がこんな小さな字の名刺を使っている。「年寄りには不便ですね、おかしいですね」、と指摘すると、「気が付きませんでした、係に言っておきます」と言う。年寄りのことを考えていないとも言えるが、そういうこともよくあることである。目くじらを立てたわけではない。しかし開業してずいぶん経つはずである。気が付いていてもいいと思う。
名刺のせいかもしれないが、入所申し込みをせず、「考えてみます」、ということにした。
健康診断は受けないほうがいいとか、薬は飲まないほうがいいと言う現役医師の記事がネットにあった。以前何度か読んだ内容と重複しているところがあったが、面白い部分があった。男性の寿命と女性の寿命の差である。女性の方が平均寿命は6歳長い。以前はそんなに差はなかったというのだ。この差の原因は健康診断のせいだとその医師は指摘する。
男性は会社で定期的に健康診断を受ける。主婦は特別健康に関心がなければ進んで健康診断を受けることはない。健康診断によって病人にされ、飲む必要もないような薬漬けになったり、手術によって健康を害することになる、と言っているのである。
医師は自分の専門のことしか関心がなく、総合的に患者の体を診るということをしない。
その通りだと思う。いい医者を探したいが、庶民には無理なことである。
昔に比べれば医療が格段の進歩をしたことは確かなことだと思うが、この医師が言う総合医療という見地がこの国に必要であることは素人の私でも分かる。高齢者が飲みきれないような薬を処方する医療はどう見てもまともではない。薬だけの問題なのか分からないが、専門と専門が関連を持たないというのはおかしい。医療小説では内科と外科がケンカするというシーンもある。なにかもったいないような気がする。
話を他の話に敷衍したくないと思いながらいつもしてしまうが、国の行政においても総合的な視点は必要である。という言い方より、総合的な視点は絶対必要である。利益のために存在する会社は当然に総合的視点を持っている。そうしなければ利益を上げることができず倒産してしまうからだ。
倒産の危険のないところは総合的視点を持とうとしない。総合的視点より自分たちの既得権を守ることが大事なことになるからである。選挙は民主政治において大事なことであるが、選挙のこと以外関心のない政治家による社会がいい社会になるはずがない。いい政治家が選ばれるような選挙制度にしなければならないが、民主政治の基本でありながら、多分これが一番難しいことではないだろうか。 (了)
健康診断は不要

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