登記を信用してはいけない

つぶやき

 登記制度は不動産の権利等に関する国の公示制度ですが、その公示内容が真実であることを保証する制度ではありません。

 自分が権利者であるという申し出をそのまま登記簿に記載しているだけであって、真実の権利者であることが確認されたから登記簿に記載したということではないのです。
 
 そういうことから、登記の内容を信用して取引をしたら売主は実は真実の権利者でなかったという場合、その権利を取得することはできません。これを登記には公信力がないと言います。

 公信力は遠心力とか表面張力のように、自然界に存在している「力」ではなく、あくまで人為的なものです。登記に公信力 を認める、つまり登記を信用して取引をした人は売主が真実権利者でなくても権利を取得できる、とすることは、登記制度をどうするかということで、どちらが正しいということではありません。

 しかし国は登記に公信力の付与は認めません。それにはいろいろ理由がありますが、要は登記制度をそんなに信用のあるものにしなくたっていい、という考えが根底にあるからです。

 登記に公信力を認めたら国家賠償が膨大な額になるかもしれません。真実の権利を確認して登記をすることになったらそれこそ登記所の事務はパンクです。

 登記所の職員には、「登記を信用しても保証されない登記制度を仕事とすることに、プライドや生きがいを持てない」と嘆く人もいます。

 国が行った公示内容が間違っているなら国は当然責任を取るべきですが、そんなことは全くありません。「売主に騙されましたね。でも登記所のせいではありませんよ」と笑っているのが登記制度なのです。

 登記は一応真実と思われる権利関係を、当事者の申し立てによって公示しているだけのことです。

 「一応真実らしいこと」の公示で、登記制度の目的は達せられるのか、という疑問を持ちますが、「一応真実らしいこと」を登記して、それで問題が生じたなら、あとは裁判でもなんでもやって、当事者間で好きなように解決してくれ、というのが登記制度なのです。

 ゆめゆめ登記すれば国が権利を守ってくれるなどと考えてはなりません。

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