70歳を過ぎるまで大きな病気はしたことがなかった。
病院の記憶と言えば5歳か6歳の頃、さかさまつ毛の手術をしたときだけである。
いまでも手術の時のまぶしすぎるライトと消毒薬の臭いを覚えている。
大きな病気をしたことはない、と自慢げに人に話をしてきたが、自分が病気になってみて、人にはあまり言うべき言葉ではないと思った。
3年前の暮れに、肝膿瘍という病気になった。肝臓に膿がたまる病気である。
2週間経っても38度5分の熱が下がらない。風邪の症状はなく、だるいということもない。しかしいつまでも熱が下がらないので近所の病院に行くことにした。
大学病院ではないが、地域では大きな総合病院である。
熱があるということで発熱外来で診察を受けることになった。コロナはこの年が明けてから大流行することになる。
CT検査までしたが医師は、原因が分からないので様子を見ましょう、という診断であった。
大したことはないな、と思って病院の廊下を歩いていると、若い女性看護師さんが追ってきて、明日また来院してください、重大な病気かもしれません、と言う。
医師が経過を見ましょうというのだからそんなに慌てることもないだろうと、次の日病院に行かなかった。
しかし相変わらずし容態は芳しくなく、別の病院にかかってみようかと思ったが、3日後に再度同じ病院にかかることにした。
待っていたように受付と同時に処置室に通され、女性医師が、「入院です」、と言う。そう言われても仕事もあるし、入院するわけにはいかないというと、命に関わる、と言う。
そんなにひどい病気なのかと問うと、敗血症の一歩手前、病名は肝膿瘍。この病院では処置ができないから病院を紹介することになるという。
こんなに大きな病院で入院設備もあるのになぜ入院できないのか、と訊くと、ドレナージの技術がない、と言うのだ。
肝臓に針のようなものを刺し、膿を抜き取る技術のようだ。
入院先をいろいろあたったようだが、市内唯一の大学病院には入院できず、遠く離れた町の大学病院しかないということになった。
暮れから正月7日にかけてちょうど2週間の入院となった。
退院してから何人かの医療関係者の人と話す機会があった。
住まいから近い大学病院に入院できず、遠い病院に入院することになったことについて話すと、私の住む市は特に医療機関が脆弱だという。
医療を専門としない大学の付属病院があるだけで、地域医療の中核を担うべき基幹病院が存在せず、病院の数自体も少ない。私設の病院は全部と言っていいほど高度な医療技術は持っていないという。
初めて聞く話だ。東京に隣接する人口35万人にもなる自治体である。そんなことになっているとは夢にも思わなかった。
癌のような命に関わる病気でも、最初に受診した医師が、風邪とか腹痛として診断をすることが多いらしい。ネットの闘病記などにはそのようなことが記載されている。
もちろんすべての医師というわけではない。その診断に安心してそのままにしておけば、癌はどんどん進行してしまう。
大きな病院に行ったら即がんと診断される病状を、かりつけ医はなぜその可能性だけでも指摘できないのであろうか。
悪い病気でなかったら藪と言われるからだろうか。どんな医者にかかるかは重大なことであるのに、どんな医者であるかを知ることは不可能である。病気になったら運以外にない。
10月の最終日近くに腰の手術をすることにした。今度の腰の手術で普通に歩けるようになるのだろうか。
医師に尋ねると、痛みはとれるだろうが、スムーズに歩けるかどうかは首の損傷の程度による、という。
やはり手術をしても長い期間放置したことによる神経の損傷は簡単には回復しないものらしい。
中途半端な人生を送ってきたから病気まで中途半端だ。
歩きにくいが歩けない訳でもない。痛いが寝ても立っても何をしても痛いという訳でもない。
癌はどうなのだろうか。癌に中途半端というものはないだろう。医師は、狭窄症は命に関わる病気ではないから生活に支障があるかないかが手術の目安だという。
「命に関わる」という医者の言葉が耳に残った一日であった。(了)
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