妻 の 回 復

つぶやき

 家内の回復が早いようだ。昨日の夕食は完食したらしい。昼間は吐き気が酷く昼食も食べられなかったのに有難いことである。

 主治医がこまめに診てくれている。手術前の説明はリスクのことばかりであったが、「ないとは言いきれない」ことは何もなかったようだ。

 東京病院はもともと結核病院。昭和6年に府立清瀬病院として開院している。昔清瀬と言えば結核の町であった。
 
 近所に国立看護大学校があり、薬科大学も近い。すぐ隣にハンセン氏病の全生園があるが、ここは東村山市になる。

 東京病院は特にがん治療の専門病院ということではない。がんの手術となれば実績の多さで病院を選ぶべきとされるが、東京病院はベスト10にも20にも入っていない。

 病院を替えるべきかと迷ったが、手術をした医師との運命的な出会いもあり、家内の思いもしなかった心臓の数値のことからすべて担当医師に任せることになった。

 主治医は東大医学部の出身。自己紹介文によれば、大学院にて2年間研究したのち、JR東京総合病院、虎の門病院での勤務経験がある。
 国立がんセンターやがん研有明病院といったがん専門病院での勤務経験はないらしい。

 東京病院にいるような人ではないのではと思うが、その辺のことは全く分からない。ただがん専門病院ではないのにいい医師に巡り合えた。運がよかったということになる。

 手術はなにより目だそうである。目とは医者の目のこと。医師としての技術経験は10年もあればほとんどのことが経験済となる。主治医はまだ40歳くらい。医師として一番の時期ではないか。

 私もかつては専門家と呼ばれる職についていたが、専門家であることは楽なことではない。常日頃勉強していなければ法改正などについていけなくなるし、専門分野の中でも不得意というものがある。

 判らないとなると全く判らない。一から勉強をし直さないと理解できないことがあるが、歳をとるとそれも面倒になる。

 家内の病変を評価しなかった医師に対する恨みつらみがある。確かに歳と言えば歳である。学生時代の仲間3人で我が町に開業したのは30年以上も前のことであるから、30代の後半に開業したとして70前後になっているはず。

 医大も私大の、それもランクは下から見た方が早いところの出身。町のかかりつけのクリニックになるということはいいことだが、商売を優先したようなところも見受けられる。

 医者も人気商売となれば患者にいいことだけ言いたくなるものであろう。「陰性、95%大丈夫、心配ない、あなたたち夫婦は心配性だ、次回の検査は1年後でいい」。あの医師の軽薄な言葉が耳に残る。

 何が陰性だ。がんに陰性も陽性もあるものか。1年待っていたら末期になっていたかもしれない。患者を喜ばすというより、自分が負担から逃げたかったのではないか。私は性格が悪いからこの医者のことは一生忘れない。

 町医者のリップサービスには気をつけなければいけない。所詮かかりつけ医は最後まで見届けることはないのだから無責任である。

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