きのうは家内の入院日。医師の説明を聞いた帰り道、今まで見たこともない夕焼けが全部の空に広がっていた。手術はきっとうまくいくと思う夕焼けであった。
きょう家内の手術が終わった。
医師から所要時間は麻酔の処置を含め6時間と聞いていた。
家内は9時半過ぎに手術室に入ったから手術が終るのは4時近く。何かがあればもっとかかるのであろう。
手術室の前に家族待合室という部屋があるので、そこで待つのかと思っていたら別階の控室にいてくださいという看護婦さんの話。
これから6時間待つことになる。どう過ごしたらいいのか。どう家内のために祈ったらいいのか。
幸い娘が仕事を休んで来てくれた。後を頼んで、家内と以前行ったことのある神社で手術中の時間を少しでも過ごそうと思って車を走らせた。
神も仏も信じない私としてはなんとも情けない話だが、それ以外に何ができるというのか。
昼前に病院に戻り手術室の前に何度か行く。手術室のドアはピッタリと閉まり、見えるわけでもなく会えるわけでもないが、少しでも家内のそばにいてあげたい。
1時過ぎ、何度目か手術室に向かうと医師と看護師がベッド押して廊下を進んでくる。一人の手術着を着た医師は家内の担当医のはず。ベッドには昏睡状態のような妻が横たわっていた。
医師は私をみて「終わりましたよ」と言う。どうして早すぎるではないか、と思わず口にした。手術不可能ということなのか。それともがんではなかったということなのか。
医師は家内のベッドを押してどんどん先に行く。看護師が私のそばに来て、これから集中治療室に入りますから所定の控室で待っていてくださいと言う。
それからしばらくして娘と二人呼ばれて医師の説明を受けた。
陰影は残念ながら病理検査の結果がんと評価された。しかし悪性の強いものとは言えないが、念のため区域切除をした。
同時に見つかった別の陰影についてはまだ詳しい結果はないが、部分切除した。
がん細胞がむき出しの状態になっているので、それが播種していればいっぺんにT4の末期となるが、それも無いことを確認した。細胞検査を待たなければ断定的なことは言えないが、T0かも知れない。
主治医は自信に満ちていた。すべて予定通りという口ぶりであった。出血も10㏄。
集中治療室で家内に会う。娘と私を分かったようである。こんな姿の妻を見るのは初めてのことである。
義母が90歳を過ぎて次女の住む富士忍野村の終末施設に入ることになった時、義父は「もうかあちゃんには会えないんだな」と言った言葉を思い出している。
義父はそのとき92歳くらいであった。そのくらいの歳になれば「もうかあちゃんには会えないんだな」という言葉もそんなに深い思いがあって言ったこととは思ってもいなかった。
義父はそれから間もなく妻に会うこともなく脳梗塞で亡くなり、義母はその3カ月後に亡くなった。
義父は妻に会いたかったんだろうなと、今にして義父の気持ちが分かる。
義母は晩年、同居する息子やそのお嫁さんに大きな負担をかけながら生きていた。それを申し訳ないと義父は思っていたのであろう。妻が遠くの施設に入ることになんの反対もしなかった。
長年連れ添った妻の最後に何もしてあげられないことが、義父にとってはつらいことであったのだろう。
夫婦は他人であるが、共に生きてきたことがとても大事なことなのだと、集中治療室での妻を見て思う。



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