楽しいことが見つからない

つぶやき

 今日は私がPETct。1年に一度の検査。待ち時間が長いのがこの検査のイヤなところ。
 
 術後3年が経過したが、今のところ再発・転移はない。私のステージでの再発率は20パーセントくらいと言われている。8割の人は再発しないとみるべきか、2割もの人が再発するとみるべきか。

 5軒隣りのご亭主が電動椅子に乗って、庭先にいた家内に電動椅子のクラクションをプップッと鳴らしたらしい。

 このところずいぶん長く姿を見なかった。以前軽い脳梗塞を発症し、杖をついてよく犬と散歩をしていたが、歩けなくなってしまったのだろうか。私より3、4才若い。

 プップッと鳴らしたのは声が出ないかららしい。家内に手の動作で「声がダメ」という仕草をしていたという。

 声が出ないとなれば喉頭の全摘をしたのだろうか。それとも一時的なものなのか。声が出ないから家内も詳しいことは判らなかったようだ。

 ほんの10数年前まで大手銀行のサラリーマン。歩けない、声が出ない。みんな歳をとる。

 まあしかし楽しい話がない。樹木希林さんの言葉ではないが、自分で面白がらなければ面白いことはないということがよく判る。でも、面白がるというのも作り笑いのようでなんか空しい。

 きのうの結びの一番。7戦全勝の豊昇龍と7戦全敗の豪ノ山の対戦だったが懸賞金の数がものすごい。何回も懸賞幕が土俵を回った。 

 そんなに勝負に期待がある取り組みとも思えないが、何に懸けたのだろうか。

 相撲でも見て面白がればいいのだが、どうもつまらぬことばかりに目が行く。

 どっかの国の第三夫人であった人が映ったとか、どっかのあまり人柄のよくない夫婦が映ったとか、ちっとも楽しい話ではない。不愉快な話である。
 
 相撲が好きで見たいのであれば正面から見るのが通というもの。何も向こう正面から見ることもない。テレビに映って目立ちたいというだけのことである。

 孫が大学が楽しくてしょうがないと言っているらしい。人生一番楽しい時である。
 
 しかしあまり楽しいことばかりではいけないと、なにか感じることがあるのかボランティア活動もしているという。

 そういうバランスということは大切なことだと思う。私もつまらないことはたくさんあるから、楽しいことを見つけなければいけない。

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