知らなかったが今年は5年に1度の国勢調査の年だそうである。昼過ぎ調査員という人が書類を持って訪ねてきた。
面倒なので持って帰ってくれと言ったら国民の義務だと言う。
そんなやり取りから少し話をするようになって、近所のマンションに住んでいて民生委員をしているという。
「この町に移り住んで43年になります。年寄りばかりの町になってしまいました」と、私がいつも思うことを口にする。
あなたはおいくつですかと尋ねると76だと言う。私より若いが、70も半ばになればこういう年寄り顔になるのかと、自分もそう見えているであろうことを思った。
話のついでなのか、あそこの家のご主人が脳梗塞を患い、先日は転んで顔面傷だらけになってしまいました、と言う。
民生委員たるもの業務から知り得たことは他言しないもの。悪い人ではないが軽薄そうな人であった。
今日家内は午後からPETct。私は明日。夫婦そろってそういうことになってしまった。
3時間後家内を迎えに行く。なかなか出てこない。こんなところで家内を待っていたくなかった。
今から55年前、飯田橋で初めてのデートのとき、1時間近く待たされた。あの頃携帯電話はなかった。銀行に勤めていたから定時に帰れないことが多いらしい。
当然ながら、振られたのかなという気持ちと、もう少し待ってみようという気持ちになった。
あの当時の飯田橋駅の神楽坂寄り改札口は、ホームから長い渡り廊下のようなところを通る。
ひどく遅れたのに笑い顔で現れた家内をその渡り廊下で見た。
遅れて申し訳ありませんという顔ではなかった。「まさか待ってはいないと思っていたのに待っていたから笑ってしまいました」という顔であった。
しかし笑い顔と言ってもゲラゲラと笑っていたということではない。待っていてくれたという安堵感からのものだと思ったから、結婚することになった。
私もこのところの入院手術で家内を待たせてきた。それも心配をかけて待たせてきた。
夫婦というものは待たせ合うものなのであると思う。
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