直す気がないということがある

つぶやき

 自民党の総裁選は小泉進次郎氏と高市早苗氏の一騎討ちだそうだが、そんな程度でいいのかなと思う。

 自民党総裁選挙とは何を基準に選ぶのか。国民のためではなく、党員の思惑を優先して選出されるものであることはハッキリしているが、それでいいのかなと思う。

 大川原化工機冤罪事件で、保釈が認められず亡くなった相嶋静夫さんの家族に裁判所はなぜ謝罪しないのか。

 「裁判官独立の原則から謝罪する必要はない」。そんな理屈ではなく、死なせてしまったのは裁判所である。当然謝罪すべきである。

 刑事裁判の有罪率は99.9パーセント。これを日本の司法は優れていると見るか、不自然と見るか。

 「無罪判決を出すと評価が下がる」

 無罪判決を出せば裁判官としての評価が上がるものと思うがそうではない。なぜなのか。

 無罪判決を言い渡すことは検察の面子を潰すことである。どうもこのことに有罪率99.9パーセントの秘密があるらしい。

 裁判所は独立した司法機関。検察は法務省の下部組織。検察のメンツをつぶしてこその正義の裁判所。なんの遠慮もいらないと思うのだが。

 しかし、最高裁は検察志向が強いと言われている。この辺が微妙というか、力学というか、思惑というのか。長い期間が作り上げた関係というものが存在するらしい。

 なぜ大川原化工機冤罪事件で、重病な相嶋静夫さんの保釈を認めなかったのか。この根っこにあるのは命よりも検察への配慮ということになる。

 裁判所、検察に対する批判が高まっているが、人質司法など改めようとする機運がない。裁判所も検察も「自分達は間違っているはずはない」という気持ちから抜け出せない。

 この国の役人はすべて昔からの「お上」を継承している。何かあれば出てくる言葉は「威信と権威」。

 古い映画だが、「警察日記」という映画の中で、多々良淳が居酒屋で他の客にからむシーンがある。「俺をだれだと思っているんだ。お役人様だぞ」。地方に出張した下級官吏の役であった。

 裁判所が検察のメンツを慮っては有罪率が下がることはない。
 検察の主張は正しく、被告人は悪者で嘘をつく。検察の言うとおりにしていれば間違いない、というレールが裁判所には敷かれているらしい。元裁判官で、ある私大の名誉教授という人の話である。

 そうであればもはや裁判所ではない。

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