今日は家内と予約時間は違うがそろって歯医者へ。治療内容も同じ。折れてしまった歯の根の治療。この治療は1回の治療時間は短いのに回数が多い。
家内の友人のお母さんは90才の時乳がんを発症したが、手術について二人の娘さんが結論を出しあぐねている時、自分から手術を申し出たらしい。現在96歳。認知症の症状はないという。
高齢者は手術をする必要があるか、という話題がある。特に前立腺癌などでよく言われている。寿命で死んだのか、がんで死んだのか分からない、ということである。
「患者よ、がんと闘うな」という近藤誠医師の本は読んだことはないが、ネットの記事て近藤医師の言わんとするところはよく判る。
「抗がん剤治療はほとんど効果がない」「胃がん検診をやめたら胃がんで死ぬ人が半分以下になった」というエピソードは興味をひく。
近藤医師はもっと高齢かと思っていたが私と同年の生まれである。5年前73歳で亡くなられている。がんかなと思ったら心臓疾患のようだ。
出身大学の慶応大学医学部では不遇な扱いを受けていたらしい。
近藤理論。いろいろ医療界に波紋を投げた人である。近藤理論を信奉した患者が手遅れで死亡したという話がある。
今日の毎日新聞家庭欄に、「がん検診 不利益に目を」という記事が掲載されている。書いた人は国立がん研究センター特任部長という人。
検診にはこんなデメリットがある。検診や精密検査による事故、放射線被ばく、放置して問題がない進行の遅いがんをみつける「過剰診断」、がんでないのにがんの疑いをかけられる「偽陽性」
がんの疑いをかけられることの負担は大きい。結果としてがんでなかったとしても、精神的負担から心の病を発症してしまう人が多いという。
「病は気から」という諺は、病気になるのは心の持ちようが大きく関係するという意味だが、「病は気からというくらいなのだから具合が悪いのは気のせいだ」といった意味に使われることが多い。
しかし病は気のせいではなく、気のせいで病になる。大きなショックを受けると特に心臓に大きな負担がかかるらしい。それで心臓の一部が活動しないことがある。
命の源である心臓が、医者のたった一言で動きを止めることがある。
まあ人生、生きていればいろいろある。いろいろがなくなれば生きているということではないのだろうが、でも人生、いろいろ無いほうがいい。
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