新しい指標はこの国にあるのだろうか

つぶやき

 日本人の主食というコメの需要と供給を把握していなかった農水省という役所は、なんのために存在しているのか。

 ずいぶん前から水源地などの土地が中国人に買い占められているという報道があるのに、国交省はその後の中国人などによる日本各地の土地買収を把握していない。

 国土をいわば敵国に買い占められているのに、法整備に何年もかかると言っている。この国は国家としての体をなしていない。

 まあ平和ボケということなのだろう。トランプが「なぜアメリカが日本を守らなくてはいけないのか」と言い出したのは、最初の大統領選に勝ったときだった。
 
 日本のためにアメリカが軍隊を出すなどということは彼には考えられないことなのだ。

 安保条約締結や改定のとき、日本の社会は大変な騒ぎであったが、アメリカ社会では安保条約のことなど全く知らなかったのではないか。

 ま、あまり判ってもいないのに、ブログなどに政治の話はしないほうがいいのかもしれない。と言っても何かと口を出したいという気もある。

 日本がどんどん衰退していく中で、日本をなんとかしようという動きが出てきている。

 しかしその動きは、「天皇を中心としてまとまる国家」「人権より公益優先」「教育勅語の奨励」「家族制度の復活」「夫婦別姓反対」といった個人の自由とは相いれないものばかりである。

 確かに戦後日本の社会は、GHQによって廃止されたり押し付けられた制度で成り立ってきた。
 
 GHQの意図は、日本を弱体化させることであったと言われている。天皇主権とか家族制度は国民を結集させ、ひとつの方向に向きやすい。それを排除するために個人の自由を認め、家族制度の廃止などを決めたとされる。

 しかしそうだとしても民主主義、基本的人権、信仰の自由はそれまでの日本人が知らなかった考え方である。それらはすべて戦勝国から教わったものであるが、これらの考えは人間が人間として生きていくうえで正しい。

 現代の日本の衰退を指摘する人達の批判は、これらの考えが国家のあり方において好ましいものではない、ということから始めている。

 安倍元総理が行ってきた多数の人権無視の立法や、石原慎太郎氏の主張、保守極右の人達が掲げるスローガン、個人の自由を認めたものがない。
 
 個人の自由は、国を亡ぼすものと捉えているようだ。

 戦後、民主主義の中で、日本という国をもっと豊かで盤石な国にすることは出来なかったのであろうか。

 「美しい伝統の国日本」 
 「美しい伝統」はいつあったのかと言いたい。
 

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