四畳半という和菓子

つぶやき

 このところ朝が遅くなったようだ。いつも5時過ぎに起きるようにしているが、ちょっと前まであった障子の明るさがない。

 仕事をやめてから夜帰宅するということがないから、季節の移ろいを家の窓から知るだけになってしまった。
 9月半ばとなれば「夜の秋」。こんなデリケートな季節を肌で感じることがなくなった。

 「四畳半」という和菓子を持って息子家族が訪ねて来た。この連休の最終日は敬老の日であった。

 この菓子は200年続く京都の和菓子店の名品だそうである。
 息子がそれを知ってわざわざ買って持ってきてくれたのかと思ったら、家内のリクエストであったらしい。

 四畳半と言えば、母と暮らした安アパートの一間。そんなものがなぜ高級菓子になるのか。
 
 この四畳半は安アパートのことではなく、優雅な茶室に関係があるらしい。四畳半と言えば貧乏な生活を思い出すわが身が不憫である。
 
 四畳半に仕切った木箱に、和菓子がきれいに並べられていた。

 先日息子のお嫁さんのお父さんとラインで梨の話をした際、小学六年生の孫娘の名前をごく自然に、ごくあたり前に口にすることに少し驚いた。

 孫なのであるから少しもおかしなことでもなく、驚くことでもないが、「今度あの子が受験でしょ」という家族のような言い方に、あの孫たちはお嫁さんの親にとっての孫なのだと思った。

 別に文句を言っているわけではない。
 私の娘の子は我が家の近くにいるから、娘の子は婿さんの親からすれは私たち夫婦に独占されたようなものである。
 
 しかし婿さんの妹さんに子供ができたから、そのお孫さんたちを独占しているようである。 

 娘は実家側に、お嫁さんの実家のそばに住む息子は嫁さん側に。そういうことになる。

 家内は、「子供は独立して自分たちの生活をちゃんとしていれば、それだけで充分に親孝行」とよく言う。

 そうだなあと思うようになった。と同時にそう思うから、夫婦のことで子供たちに頼ってはいけないなと思う。子供が結婚して親を離れるということは、人生それぞれ別になった、ということである。

 離れたのであるから子もそれなりの覚悟をしたということであり、親も子が離れた事にいつまでもかつての親子関係を求めてはいけない。

 「お前百までわしゃ九九まで」
 百まで生きることが滅多になかった時代にこんな言葉がある。

 妻の長生きを願った言葉なのか。先に逝くけどあとは宜しくということなのか。

 「お前百までわしも百まで」がいい。

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