梨 の 季 節

つぶやき

 「東京23区でゲリラ雷雨…世田谷区では観測史上1位の1時間で92.0ミリ。関東の一部で計7000軒以上の停電も」

 濁流の目黒川や妙正寺川がテレビに映る。桜の名所として知られる川である。

 洪水の体験がある。5歳くらいの時だったと思うが、東京の下町に住んでいた頃、胸あたりまで水に漬かりながら近くの3階建ての建物に避難した記憶がある。

 子供にとって胸あたりだから、大人の膝あたりの洪水だったのではないか。
 
 洪水後の消毒薬の臭いがまだ記憶にある、と言えば嘘になるが、そういうことであった。

 何もなければ街は美しい。何かあれば街は無残になる。でもすぐに復興して何もなかったようになる。日本は復興の国であった。

 息子のお嫁さんのお父さんから梨が届いた。「浜なし」というブランド梨だそうだが、以前もいただいたことがあるのに申し訳ないことに忘れていた。

 お礼のメールは、しっかり冷やしてから食べて、明日すればいいなと思っていたが、しかしせっかく「翌日配送」としてくれたものをそうしては申し訳がない。

 「立派な梨を有難うございました。おいしくいただきました」と食べてもいないのに、事務的なメールを送ってしまった。

 せっかくの梨。食べてからおいしかったことを伝えればよかった。

 梨は冷やさないほうがおいしく食べられるという話を耳にしていた。
 お嫁さんのお父さんが送ってくれた梨は、冷やしても冷やさなくてもとてもおいしい梨であった。
 子供の頃、夏祭りで山車をひいたあとにもらった梨の味がした。

 梨にはいろいろ思い出がある。
 姉の結婚相手は山梨の人であった。その人が結婚の挨拶に来た時、母と同席した叔父は、「山梨には山があるそうだね」と言った。
 冗談を言わない叔父の、真面目な歓迎の言葉であった。

 梨には我が家に特別な思いがある。家内の母が長年梨を送ってくれたからである。
 
 家内の実家は梨農家ではないが、住むところは梨の名産地であった。
 出始めの梨から、正月でも食べられるという梨まで、毎年何箱も送ってくれた。そのお陰でいろいろな梨の種類を知った。

 「私が生きている間は梨を送りたい」と言っていた。あれから15年が経った。梨の季節になると義母を思い出す。

 芳醇な桃が終わった後に淡白な梨の季節が来る。自然はそこに何か伝えたいものがあったのか。

 息子の嫁さんのお父さんは4年前に最愛の奥さんなくしている。

 「梨を送ろう思っているのにいつも品切れなんだよう」と、申し訳なさそうな声が耳に残る。

 やっと手に入れた梨を自ら包装して送ってくれた。
 
 「おいしくいただきました」では、感謝の気持ちが足りない気がする。

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