どこかに行きたい

つぶやき

 各地でゲリラ豪雨のニュース。こんなにゲリラ豪雨というのは昔からあったのか。

 我が町は災害の少ないところと言われている。震度1か2の地震が隣町で記録されていても、この町の名が地震情報に掲載されることは滅多にない。山地であるから岩盤に支えられているという。本当かなと思う。

 川がない町であるから洪水はない。低地の水はけの悪いところでときどき出水のニュースがある程度である。

 川がないから稲作は皆無。この町の農家は、昭和の列島改造期の住宅ブームまで極貧と言われていた。今では豪邸に住む。

 農家にとって土地は農産物を作るためのいわば備品。サラリーマンにとってのスーツとか書類を入れるためのカバンと同じもの。
 
 それなのに極貧の農家は大金持ちになり、サラリーマンは貧しいままである。差が大きすぎる。

 夜のブログタイム。少々酔いが回ってパソコンなどを叩いていれば、まともなことを考えることもない。

 人生とはいいものだと教わってきた。なのに今は歩行困難とか、血糖値とか高血圧とか再発とか、毎日脅かされている。

 人生とはこんなに不確かなものなのか。

 「明日はどこかに行きたいな」と毎日思う。「どこか」と言っても行く所はいつも決まっているところしかない。でも「どこか」なのである。

 母がむかし「どこかに行ってしまいたい」とよく言っていた。子供心にも「どこかに行ってしまいたい」はつらさを感じる言葉であった。

 いつも「どこかに行きたい」がいい。

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