夜間大学生がいなくなる

つぶやき

 きのうの3時過ぎ清瀬の病院にいたが、4時に帰ろうとして玄関に行くとものすごい雨と雷鳴。

 隣りあわせの東久留米では1時間に100ミリの雨というから、それとほとんど変らないのではないか。5時過ぎまで雨脚が変わることなく降り続いた。

 帰り道にアンダーパスはなかったが、全生園前の道路は川のようになっていた。
 ひょっとしてテレビカメラが撮影していて、7時頃のニュースに、川のような道路を走る私の車が映るのではないかと期待したが、そんなことはなかった。

 今朝の毎日新聞が、「夜間学生ピーク時の2割弱」という記事を1面に掲載している。

 私は夜間大学の出身なので少々気になる。しかし「夜間学生」とはずいぶん省略したものである。

 記事を読んでみれば、大学が夜間部を廃止した理由、夜間大学に通う学生が少なくなった理由、すべて納得することばかりである。

 大学夜間部は昼間社会人として働き、夜専門知識を得るための施設であり、その歴史は古い。
 もともと駿河台あたりに設立された現在の私立大学の前身である法律学校はみんな夜間であった。昼間官庁で働く下級官吏が法律を勉強する場であった。

 同じ夜間部でも大学によってはレベルの差というものがあった。
 頭のいい人は夜間部でもいい大学に入って、それなりの会社や公務員上級職などに就いたり、公認会計士や弁護士の資格を得る人が多かった。

 頭のあまりよくない人もそれなりの夜間部に入って、一応大学卒ということになった。
 
 卒業証書はすべての大学がそうであったかは知らないが、例えば「本学経済学部を卒業したことを証する」となる。しかし卒業証明書では「本学経済学部二部を卒業したことを証する」となる。

 中央大学、明治大学、法政大学などは言い方がおかしいが、夜間部のメッカであった。

 大学二部にも有名なところがある。早稲田の第二文学部である。ウィキペディアには「早稲田第二文学部」として掲載されている。二部であることが特別に扱われるのは早稲田だけではないだろうか。

 早稲田の二文と言えば吉永小百合さん。たしか大検を取って早稲田に入学したはずである。早稲田の学生に失恋して、それを慰めたのが後のご主人、と言う話がある。

 出身者には加藤剛さんや北大路欣也など俳優が多く、タモリや永六輔さんなどの名前もあがっている。

 しかし役者をやりながら大学二部の学生とは贅沢なことである。私がそうであった頃は、新聞販売所に住み込みで働いたり、東電の下請けで電線工事をしたり、とにかくわけの分からない仕事をしながらなんとか通っている夜間大学生が多かった。

 大学夜間部の終焉は日本経済の衰退を表すものである。

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