亡くなったと思われる小学校の同級生であり、弁護士であった知人の詳しい消息を知りたくていろいろ調べてみたが、直接彼の死亡を確認することはできなかった。
彼の事務所が神田にあることは知っていたのでネットで調べてみると、タウンページのようなところに記載はあったが、電話は「現在使われていません」となっていた。
弁護士会の検索に、弁護士登録番号を入力してみても、「該当者無し」であった。
あらためて、彼が亡くなったのではないかと思った「追悼論文集」を見てみると、「長年にわたって学会と実務の架け橋としてご活躍された先生を偲び…」という編纂者の言葉があった。
やはり彼は亡くなっていたと思うしかない。
彼は大学を卒業して10年近く司法試験に受からなかった。司法試験というものはそういうものでもあったらしい。
彼にはうれしい言葉ではないだろうが、「苦節10年」という言葉を思い出す。社会から置き去りにされたように若き日を送っていた。
弁護士になって社会的名声を得たのであれば喜ばしいことである。しかし長男の自殺、未婚の妹の若年認知症など、ずいぶんつらいこともあった人生であったようだ。
「追悼論文集」で知人の死を知ることは初めてのことである。
「苦節10年」。彼はそれを社会のために生かしたということである。
今日は内視鏡検査の結果発表日。正直なところ喉頭がんを告知された時より少々心配であった。
「喉頭がんをやってるんでしょう。それなら食道がんも」と言う予診のときの医者の言葉には気遣いがない。
食道ガンでも胃がんでも大腸がんでも構わないが、その後のことが面倒に思われてしょうがなかった。面倒なのは喉頭がんだけでたくさんだ、という気がある。
結果はすべてオーライ。医者の言葉は「悪性はありません」の一言だけ。
食道や胃の組織をとり、大腸ポリープを10個取ったが、悪性のものはなかったらしい。医者も一緒に喜んでくれたらいいと思うが、愛想のひとつもない。
この医者にいい印象がないので、それを聞いてすぐに席を立った。
「来年また来てください」と言うが、行く気はない。
高齢者の内視鏡検査にはリスクが多いという話がある。合併症の発祥など、なるほどと思われることが指摘されているが、結局は残りの人生との釣り合いである。
アメリカでは80歳にもなる人に内視鏡検査はしないという。仮にがんがあったとしても、寿命との区別がつかないということらしい。
私の内視鏡検査で、後期高齢者医療広域連合は10万円以上の医療費を払うことになる。
ただ生きながらいているだけの身。申し訳ないなという気持ちもあるが、しかし何十年も最高額の保険料を払ってきた。
まだ元を取り返していない。
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