石原慎太郎氏は24歳で芥川賞作家となり、36歳から国会議員となって、63歳のとき、「日本の政治に失望した」と議員を辞職し、67歳のとき「東京から日本を変える」と都知事になり、80歳のとき、靖国神社で90歳を過ぎたある戦争未亡人の歌に感激し、任期途中で都知事を辞任して国政に戻り、日本維新の代表として安倍総理を相手に質問ならぬ持論を展開して、それを自分の遺言だとして、その後政界を引退し、89歳で亡くなっている。
石原さんは総理大臣にならなかったが、なりたかったがなれなかったと解すべきである。
自主憲法制定や安全保障政策に関する発言から、国家の方向性を自ら主導したいという強い欲求があったとみるべきだからである。
なぜ総理になれなかったのか。自民党内での立ち位置と強烈な政治スタイルが邪魔をしたと考えざるを得ない。
リベラル派が多い自民党内では、石原氏の強硬な保守思想は多数派になりにくい。率直で挑発的な言動が多く、党内調整型が求められる総理像ということにおいてはやはり異質である。
なぜ都知事になろうとしたか。 「東京から日本を変える」というくらいだから自民党に対する見返しか、あるいは一度はお山の大将をやってみたかった、という程度のことではないか。
石原氏の都知事としての功罪を考えるとき、そもそもそ石原氏に具体的な都政に対するビジョンがあったのか疑わざるを得ない。それまでの政治スタイルからして、どうしても行政マンとして石原氏を想像することができないのである。
排ガス規制で排気煤の入った小瓶を片手に話をするくらいで、なにか具体的な施策があったのだろうか。
大半の業務は側近まかせではなかったか。ほとんど都庁に登庁していなかったという話もある。
公金の流用に関しては、舛添氏の流用が可愛く見えると言われるほどひどいものであったらしい。都知事としてそのくらいの金使ってどこが悪い、という石原氏の考えであったのであろう。
石原都知事が「東京の福祉は贅沢だ」と言って、障害者や高齢者の福祉を切り捨てて浮かせたのは約400億円。 一方、石原都知事が強引に進めた新銀行東京やオリンピック招致や 自分の海外視察などで無駄に使った予算は1500億円以上。
石原さんは都政などには関心がなかったのではないか、というより石原さんは都政などに関心を持つような人ではない、という方が正しい。
障碍者などは生きる価値もない人間だと思っているようだし、水俣病患者に対する国の責任というものなど、針の先ほどもないと思っているようだ。
戦争で夫を亡くした未亡人の歌に感動し、相模原の施設で19人の障碍者を殺害した犯人の気持ちが分かるという。
「日本を憂う」人がこの2つの意識を持っている。この意識は石原氏の中で矛盾するものになっていない。
「かくまでも醜き国になりたれば 捧げし人のただに惜しまる」
「かくまでも醜き国」とは、19人もの障害者が理不尽に殺され、その犯人の気持ちが分かる、という政治家が存在する国の醜さを歌ったものではないだろうか。
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