こうくそ暑い時に考えることではないが、こんなにも学生時代の友人や近所の知人が立て続けに亡くなると、あらためて人生とはなんなんだと言いたくなる。
いつも人生とはなんなんだと言ってきたが、きのうまで我が家の前を歩いていた人が心筋梗塞で突然死したとか、マンションで孤独死していたとかと聞くと、「どんなに空が晴れたってそれが何になるんだ 大嫌いだ 白い雲なんて! バカヤロー」と美樹克彦のバカヤローだけ歌いたくなる。
人が死んでしまうと、今まで生きてきたことに何の意味もないような気になる。
人生とは死ぬまで、ただ生きていた、ということではないか、という気になってしまうのである。
「いやいやそんなことはない。だからこそ人生とは……」というきれいごとの人生論には飽きたし信用できない。そんな話に耳を貸す歳でもないし、人生論以上の人生を生きてきた。
じゃあどうするんだということである。ここから先が分からない。
人には人生を楽しめる人と楽しめない人がいる。
まあそういうことも言えるだろう。私は人生を楽しめない人であるが、そうであっても何も問題になるようなこともない。特に深く考えることでもなく長く生きてきた。
しかし最近、人生を楽しむことが人生ではないかと思うようになった。また推測で確信といううことではない。
人生に意味などない、楽しまなければ生きてきた甲斐がない、人生とはそれだけのことである、といったネガティブな考えからの反動ではなく、正真正銘人生は楽しむことではないかと薄々思うようになったのである。
この考えに至るにはもちろん抵抗がある。人生なるものを「楽しむ」などという軽薄なことで結論付けていいのかということである。まだ薄々というのもそんなところにある。
しかし80の坂を目前にして、どう見ても人生楽しむ以外何もないのではと思うようになった。人生とは意外と軽いものでもある。
人生を楽しめる人は「これこそ人生」と、景色を見ても料理を食べても一輪の花を見ても人生の充足を得る。
人生何事にも興味を持ち、楽観的に楽しみを見出した人の方が豊かであり、友達も多い。大したことではないが、大事なことらしいのである。
人生勝ち負けで言えば、楽しんだほうが勝ちであることはどうやら本当のことらしい。だが、長らく人生を楽しめない人生を送ってきた私としては、いとも簡単に宗旨替えするわけにはいかないし、宗旨替えは出来ないだろう。性分だからである。
人生あと何年のことなのか。こんなことを考えるヒマもなく、突然死ということもあるのだろうか。
経験がないから分からないが、突然死。いろいろ人生を考えてきた人に、なんの準備もさせないで死なせてしまう。不親切なものである。
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