仕事には甲乙つけられる

つぶやき

 まだ立花隆さんの続きなのである。

 立花さんが「田中角栄研究」を発表したのは34歳のときだったという。
 そのころ私は建築会社のサラリ―マンで、読んでもいないのにその評判から友人と話をしたことがある。

 その友人はかなりの読書家で、こんなモラルもない建築会社に勤めるような人ではないが、私大トップの大学を出て、新宿の大手書籍店に就職したが、労働組合のことで転職したらしい。私と同じように就職と同時に閑職に追いやられた。

 その友人が、「文芸春秋だから出版したのでしょう」と言う。その意味が私には分からなかったが、その言葉が今でも記憶にある。

 仕事にはいろいろある。社会を動かすことから歴史に残る仕事。お金にならなくてもいいから好きな仕事。ただ食べるためだけの仕事。

 東大における最後の講義の内容を収めた『二十歳の君へ』に次のような立花さんの言葉があった。

 僕がいつごろこんなふうに世の中のことがある程度分かったつもりになれたかというと、社会に出て、十年選手になってからです。君たちもたぶん同じでしょう。

 大学で学べることなど、本当にたかが知れています。知識が本当に身についていくのは、すべて社会に出てからです。

 ある程度大きな組織に入り、見晴らしのいい現場を三つくらい経験して視野を広げ、ある程度部下を持ってチームワークの仕事もこなせるようになるのが、十年選手です。

 そこまで行ってはじめて、自分に自信がつき、自分が見ているものを正しく見分けられるようになります。それまでは、間違い続きです。十年選手になってはじめて、物事を正しい方向で判断できるようになります。

 「田中角栄研究」はそういうことなのだろうと思う。
 私の人生には、「ある程度大きな組織」「見晴らしのいい現場を経験して視野を広げる」「ある程度部下を持ってチームワークの仕事もこなす」ということが全くなかった。

 それを経験するかどうかはその人の生き方だ、ということも言えるが、社会的な仕事をするということにおいては、確かに必要不可欠な経験である。

 人生には甲乙つけがたい、ということはなく、つけられるものである。やはり立派な仕事とそうでない仕事というものがある。

 「こういう書き方をしたら役所が認めてくれた」ということを仕事にしてきた。こんな仕事に人生の楽しみがあるはずがない。恥ずべき仕事である。

 人生、やりがいとカネがあったら最高である。
 両方ある人も多いが、やりがいだけという人もいるし、カネだけという人もいる。

 立花さんの話は沁み入る。つまらない仕事をしたきた者に心を充実させる人生があるはずがないことに、あらためて気づかされた。

 「人生はつまらないとお嘆きの貴兄に」、病が追い打ちをかけてきてはよりどころがない。充実はいいからとにかく平常心が大事である。

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