このところ靴だのシャツだのとお金を使っている。
「お金を使うことは、単に消費するだけでなく、人生を豊かにするための手段でもあります。上手にお金を使うことで、ストレスを減らし、楽しみを増やすことができます」
こういう話もあるが、消費は「費やして消えてしまう」ということであるから、消費の対義語は「生産」ということになる。生産あっての消費である。
高齢者にはもはや生産はなく、消費だけなのだから、「お金を使うことは人生を豊かにするための手段でもあります」などということにいい気になっていれば、そのうち老後破綻となる。
デパートは高齢者にとって鬼門。いいシャツを買ったところで着ていく所もなく、さほど人生を豊かにするものでもない。
生産力はないのに消費欲だけ残っている。高齢者は無暗にでデパートなどには行くものではない。
そのデパートでグリーンピースを買う。環境保護団体ではなく豆である。
どういうわけか今年はどこのスーパーに行っても売ってない。似ているものでスナップエンドウというものばかりである。きのうやっと手に入れることができた。
グリーンピースを買ってどうするのか。もちろんグリーピースご飯である。
大好物ということではない。子供の頃大嫌いであった。
大分前のことだが、家庭菜園をしている近所の人からいただいて、家内はグリーピースご飯を炊いた。
せっかく家内が作ったものでも嫌いなものは食べない、というわがままであるから、そのときも食べなかったはずだが、どういうことか食べたらしい。
それがおいしかった。嫌いなものをおいしいと感じるには、普通に感じるおいしさの3倍以上が必要である。5倍以上に美味しかったのである。以来好物となった。
20年ほど前、私の事務所で働いていた人におにぎりにしたグリーピースご飯を食べてもらったことがある。私より年上の人であるが、これほどおいしいグリーピースご飯を食べたことがないと、今でも電話をするたびに言う。
私だけのことではなく、むかしグリーピースご飯はまずかった。豆は新鮮さが命。むかしの方が新鮮だったのではないかと思うが、意外とそうではなかったのかもしれない。
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