別名「赤紙」といわれる太平洋戦争時の召集令状の郵便代は1銭5厘だった。
そのことから兵隊の命は一銭五厘(いっせんごりん)と言われていたようだ。現代の貨幣価値にすれば100円くらいという。
こんな話を読むとよく判る。戦後、ある雑誌の編集長をしていた人が雑誌に掲載した自らの戦争体験である。
「戦争に行って二等兵だったころ、そのときの教育係の軍曹が、《貴様らの代わりは一銭五厘でいくらでも来るが軍馬はそうは行かない》と兵隊たちをいつも怒鳴っていた」
一銭五厘というのは日本全国の軍隊で用いられていたらしい。この筆者が陸軍病院に入院してからも一銭五厘と呼ばれていたという。
靖国神社は戦争で死んだ兵隊を神として祀るところである。明治20年からは陸海軍の管轄となり軍事施設とされていた。兵隊たちは「靖国で会おう」を合言葉に戦地に向かって行ったという。
靖国神社の創建は神武天皇の時代かと思っていたが、意外と最近のことで明治の初年。
国家のために殉じた命を祀っているのであるから、通常の神社寺院とは違う。国家を代表する総理大臣や閣僚、国会議員が参拝することは当然と言えば当然のことである。
しかし戦後憲法の下、政教分離の原則から、総理大臣などの参拝は憲法違反の疑いを問われ、中国・韓国からは侵略戦争の美化という批判もあり、国家のために殉じた命を参拝することが、自らの政治姿勢を示す踏み絵のようになった。
今年も靖国神社春の例大祭が終わり、誰が参拝したか、総理大臣はどうしたのか、玉ぐし代はポケットマネーから払ったのかとつまらぬことまで話題になった。
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」という会があるらしい。
「靖国神社に参拝する会」でいいと思うが、何故「みんなで」、「国会議員」という言葉が入るのか。みんなで渡れば怖くないということなのか。
靖国神社に内閣総理大臣として参拝した小泉純一郎氏は、記者の憲法違反ではないかという問いかけに、「靖国に参拝することは憲法以前の問題である」と述べている。英霊に対する崇敬の心と、誰にも左右されない信念を持っている人である。
靖国問題。いろんな立場があるが、国のために殉じた命を神として祀る。反対する理由などどこにもない。
しかし馬より価値の低い一銭五厘の兵隊がどうして神様になるのか、そのところがどうしても分からないのである。
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