きのうの新聞の投書欄に、「テレビは面白ければよいのか」と、80歳男性の投書。
世界中の戦争被害者の子供たちが、食べること、飲むこと、生きることに一生懸命になっているのに、テレビは大食い競争や飲み放題番組で遊びほうけているという指摘である。
ご指摘の通りで異論はない。私もこういう文章を何度も書いてきた。
今のデジタルテレビは、スィッチを入れて画面が出てからしばらくはチャンネルを替えることができない。
そのため騒がしい番組がかかっていてもそのままにしてしまって、家内からチャンネルを変えてくださいと言われることがよくある。
しかし時々そのまま、かかっている食べ歩きとか、バラエティ番組を見てしまうことがある。見てしまうとそれが結構面白いのだ。
マツコなどという芸人も異様であるが、そうであるから普通の人には思いもよらない角度からしゃっベっている。
異様な姿が気にならない人には、「結構いいこと言ってるよ」ということになる。
「……もって社会に貢献することを目的とする」という文言は、お役所仕事の定型句である。日本の社会は「貢献」しなければならないことになっている。多分放送法なるものにも記載があるのではないか。
NHKも民法もみんな社会に貢献することを目的として放送開始時よりやって来たはずであるが、社会に貢献していては民放は成り立たない。NHKは視聴料を上げればいい。
民放はとにかく視聴率を上げて、スポンサーを獲得しなければ給料もボーナスを払えない。
テレビは社会に貢献するものであったが、社会に貢献していたら商売にならない、ということを口にしてしまったのがフジテレビであった。
社会に貢献すべきテレビが、なんでもいいから、「面白くなければテレビじゃない」と言ってしまったわけだからインパクトはあった。
視聴者も言われてみて気がついた。「ためにならなくてもいいんだ」
高齢者の意見についてどうのこうのと言う気はないが、我々の世代はやはり、「……もって社会に貢献することを目的とする」が意識に沁み込んでいる。
現代は帰結のない時代である、と言っていいのだろうか。高齢者は帰結のない生き方をした方がストレスもたまらず、気が楽になる。
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