久しぶりに立川の大型商業施設なるものに出かける。久しぶりといっても前回は2週間くらい前のことである。
いつも出掛ける先に困っているから、2週間くらいでも久しぶりということになる。
現役の頃、毎日そこら中を分刻みで飛び回っていた者として、行き先を考えなければならない日常というものに、正直なところ面倒なものを感じている。しかし高齢者というのはそういうものである。
商業施設内を歩き回って7000歩。いつもの公園でこの歩数を歩くのは容易ではない。若いベッピンさんとも話ができる。一石二鳥である。
お昼になって寿司屋に入る。沼津の寿司店の出店という触れ込みであるが回転寿司である。
カウンターには確かにレーンは回っているが寿司は回っていない。回転寿司は以前のようにレーンから寿司をとるのではなく、1品ずつタブレットで注文するようになっているようだ。
一皿400円から500円。ウニや大トロが700円800円。一皿どれでも100円という店ではなかった。
高齢者は腹一杯食べようという気はない。ちょっと腹の足しになればそれでいいというところである。そういうことでは回転寿司は重宝である。
好きなネタ2,3個つまめばそれで充分である、と言いながら久しぶりの寿司、食べ過ぎてしまった。
しかし楽しさや華やかさのない寿司であった。
店を出てしばし思う。寿司というものは美味いものであり、美しいものであった。とにかく一口頬張れば、日常とは違う世界が見える食べ物であった。しかしこの店はまずくはないがおいしくはない。
回転寿司なるものが登場して以来、寿司はカップラーメンと同じものになってしまった。結構おいしいが特別美味しいというものではない。。
特別美味くはないが、まずくはないならそれでいいではないか、というむきもあると思うが、それは違う。
着る物にも言えることであるが、寒さをしのげればなんでもいいではないか、というものではない。
この歳になると、あと何回寿司を食えるかということになる。こんな寿司しかないのならそんなに食べたいとも思わない。
昔の寿司は美味かった。いずれこんな寿司しか知らない世代が世の中の大半を占める。困ったことだと思うが、それを老婆心と言うのだろう。老いた者が心配したところでしょうがないことであった。
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