昭和歌謡とフィガロの結婚

つぶやき

 「君と歩いた信濃路の…」は間違いで、正しくは「君と歩いた石狩の…」であった。

 しかし「君と歩いた」路は信濃路がいい。甲斐路でも木曽路でも悪くはないが、やはり二人で歩く路は信濃路である。

 何故か。
 「たとえその目は見えずとも ふたりで夢見た信濃路を、背負って歩くと言ったマコ」
 「いつか あなたと行くはずだった 春まだ浅い 信濃路へ」
 という歌があるからである。

 ラジオ放送が始まって100年。NHKのFMはその特集番組を放送していた。

 私は中卒の印刷職工が人生のスタートだったが、上野駅が人生のスタートの場所ではない。
 「上野は おいらの 心の駅だ」という人は多いらしい。昭和30年代。集団就職の時代。

 しかし集団就職は東北ばかりである。西からの就職者もいたであろうし、東京にいた者にも集団就職はあったはずである。
 東京駅や新宿駅が心の駅だという話は聞かない。上野駅には「あゝ上野駅」の歌碑が造られたらしい。
 せっかくの集団就職者の心の歌。もっといい歌にできなかったであろうか。

 夜間高校には集団就職の同級生が何人もいたが、そのうちの一人に新潟県小千谷出身の男がいた。
 池袋のビル管理会社に就職し、ネズミ捕り大会で優勝したということが自伝に書いてあった。

 自伝を書くほど波乱万丈の人生を経験した男である。集団就職してから4年程経って、アルファベットも書けずに夜間高校に入り、早稲田の商学部に合格し、新潟県議会の議長をなん期も務めた男である。「上野駅青春の旅立ち」という本を出版したことがあるらしい。
 
 今日は昭和60年代の特集。「北上夜曲」「北帰行」「アカシアの雨がやむとき」……確かにそういう時代があった。

 家内が朝から外出。私と違い友達が多く、今日は横浜、明日は吉祥寺と、着ていく洋服の取り合わせが楽しそうである。
 私は3年前からスーツに袖を通したことがない。

 家内が留守。昼間からの酒。昭和歌謡。これほどの日は滅多にない。
 「アンコ椿は恋の花」「うつくしい十代」。うまくもあり、下手でもある。うまいからいいということでもない。しかし「何も言うまい 言問橋の」である。

 昭和歌謡が終わってFMはオペラアワー。「フィガロの結婚」
 若そうな女性アナウンサーがストーリーを説明する。
 
 「…するとそこにアルマヴィーヴァ伯爵があらわれ……」
 オペラの筋書きの説明ほどバカらしいものはない。オペラの筋書き自体が筋の通ったものではないから、若い女性が知ったように説明しても、お経を読んでいるようなものである。

 とても聞くに堪えず、このアナウンサーのお陰でせっかくのフィガロを聴くのをやめる。
 高齢者に説明は要らない。「おじいさん、フィガロの結婚というオペラのお話はね」というような説明は聴きたくない。

 このアナウンサーが生まれる前からフィガロは聴いてきたのである。若い人は年寄りは何も知らないと思っている。

 その点、昭和歌謡はいい。若い女性アナウンサーは「私は聴いたことはありませんが」というニュアンスで、年寄りのリクエストメールを読んでいるように聞こえる。いずれにしても年寄りをバカにしているのである。
 
 パイナップルプリンセスを知っていたら、70歳はとっくに過ぎていることになる。中学生のころ彼女のファンだという同級生がいた。

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