「春の声」といえば1987年、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートにおけるキャスリーン・バトルのリリック・コロラトゥーラが素晴らしい。
当時カラヤンは79歳。確か高めの椅子に座っての指揮だった。
カラヤンとウィーンフィル・ニューイヤーコンサート。初めて聴いたが、初めてのことであったらしい。
歌の入る「春の声」。当然テンポは遅くとる。冒頭の1拍が会場に響いただけで、「これは大変な名演になる」という予感があった。
そう、大変な演奏であった。アメリカ人であるキャスリーン・バトルの熱唱。それに合わせるカラヤンとウィーンフィル。
これほどの「春の声」が今まであったろうか。ウインナワルツを何幕もののオペラにしたようであった。
今日2時から、NHKFMはシュトラウス特集をした。今年は息子ヨハンの生誕200年にあたるらしい。
番組の冒頭「春の声」「青きドナウ」「ラデツキーマーチ」を続けて放送していた。いずれも1987年のニューイヤーコンサートにおける実況録音。
カラヤンはこのコンサートの2年後に亡くなっている。
このニューイヤーコンサートをテレビで見たが、カラヤンとウィーンフィルメンバーに信頼関係のあることがよく判る。みんな納得して演奏していたようであった。
客席には夫人の姿もあった。
番組ではシュトラウス親子について、番組司会者である女性が説明していた。
父親ヨハン、長男ヨハン2世、次男ヨゼフ、四男エドゥアルト。
父親ヨハンの何よりの功績は、音楽の才能にあふれた子供を育てたことだという。
ヨゼフの「オーストリアの村つばめ」を放送していたが、その説明の際、ヨゼフは兄ヨハンより才能があると言われていたが早世したと紹介していた。私はヨゼフのメロディに、モーツァルトのような天才を感じる。
以前このブログで、さだまさしさんのことについて書いたが、反論のメールをいただいたことがある。
メロディはいくらでも作ることができる。しかし作ってはいけないメロデイというものがある。音楽に限ったことではない。なんでも作ることはできるが、作ってはいけないということがある。
作ってはいけないことを知っているのがセンスというものである。
だから私はさだまさしさんの詞も曲も理解できない。
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