母は生前、「私が死んだらよく判る」と言っていたが、亡くなってもあまりよく判ることのない人であった。しかし一つだけよく判ることがある。それは正月料理である。
4畳半一間のアパートに家族4人で暮らしていたが、働いている漬物工場で前借りをするような生活の中でも、母は正月料理を精一杯用意した。
暮れの風物詩に上野のアメ横や築地がテレビに映るが、母は少しでも安いものを求めて出かけて行った。
近頃は築地が映ることがなくなったようでいつもアメ横になる。暮れのあわただしい雰囲気がアメ横にはあるのだろう。
正月の膳には豪華な料理はないにしても、それでもひと通りの祝い膳を用意していた。
中学生であった私たちはお酒を飲むことはなかったが、母はどういうわけかいつも赤玉ポートワインを用意していた。これを毎年お屠蘇代わりにしていた。赤玉ポートワインはお酒ではないと思っていたらしい。
母子家庭でも世間の決まりとなっていることはきちんとやらなければ、という気持ちを持っていたようだ。
結婚してから母の料理がちょっと違うことに気がつくようになった。一言で言えば味が濃すぎるのである。
甘いものはとことん甘く、しょっぱいものは飛びあがるほどしょっぱく。正月の黒豆は大量のさとうを入れて煮るから甘いだけでなく、硬くなってしまって豆が皺だらけである。
しかし結婚するまでは母の味がすべてであった。
正月には母もお膳に座る。母と一緒に食事をするのは正月くらいしかなかった。
いつもやれやれという感じで席につくが、ほとんど食べるということがない。子供たちが食べる姿を見るのがうれしいようである。
きのう夕方のニュースでアメ横が映っていた。店の人と値段交渉でもしているのか、年配の女性の後ろ姿に母を思った。
黒豆は皺だらけで固いくらいがちょうどいい、きんとんは頭が痛くなるほど甘い方がいい、と思うことがある。
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