間宮芳生氏が亡くなられた。95歳だった。計算してみると、間宮氏を初めて見たのは、氏が38歳で私が20歳のときになる。
東京混声合唱団ではなく、東京放送合唱団が、「合唱のためのコンポジション」をとりあげ、イイノホールで演奏会を開いた。その時の指揮が間宮氏で、自作自演であった。
現代作曲家による合唱曲を聴くのは初めてのことだったと思う。
この曲は発表されて以来大変な人気があったと聞いていたが、確かに変に小難しいところがなく、面白いと言っては間宮氏に失礼かもしれないが、聴いていて飽きない面白さがあった。
この時代日本の作曲界は華やかだった。芥川也寸志、黛敏郎、八代秋雄、武満徹、諸井誠、林光、松平頼暁、一柳慧、三善晃。
キラ星のごとく作曲家が活躍していた、と言っていい時代であった。
学生時代、こずかいをはたいて現代音楽祭というものに出かけていた。現代音楽が華やかであったということはないが、なにか新しい時代が来る、というような気持ちで聞き行っていたものである。
間宮芳生氏の名は、「みちお」と読む、と友人たちに自慢げに教えていた。
時代が終わるというが、間宮氏の死をもって、あの1960年代、70年代の張りつめたような音楽世界が終わってしまった。
コメント