若い頃サラリ―マンをしていたときの同僚の女性が、何より父親が嫌いだと言う。寒気がするほど生理的に嫌いだと言うのである。
私にも娘はいるが、その頃まだ生まれたばかりで、娘が父親を嫌うということが判らなかった。
彼女は父親と同じ家に住むのもいやだ、ということから近所にアパートを借りて生活しているという。
どうしてそんなに嫌いなのだろうかと不思議であった。自分も将来はそういうことになるのかもしれないな、という気がしないでもなかった。
動物の子と父親との間に、親子関係は成立しているのであろうか。
母と子という動物の親子写真はあっても、父と子というショットは見かけない。
母親が森や草原で父親を見かければ、「あの人がお父さんですよ」、と人間なら言うことを子供に言うのであろうか。
母親は出産からお乳、その後の食べ物の一切の面倒を見るのだから母と子の絆は当然深いものになる。
例外はあるだろうが、動物の世界においては父親は影が薄い。
男には群れを守るとか、そういう役目もあるから子育てに専念しないということかもしれない。
しかしあのライオン(虎でも馬でも)が父親だという認識は、動物の子でもしているのであろうか。「ボクは父親が誰なのか知りたい」という欲求にかられることはあるのだろうか。
民法は、親と子の関係について嫡出子と非嫡出子に分けた。つまり婚姻関係にある男女から生まれた子であるか、そうでない子であるか、に分けたのである。
このことによって非嫡出子は不倫の子、父なし子、妾の子、などという社会的差別がされ、相続分などにおいてもかつて嫡出子との違いがあった。
民法制定時は、子供はちゃんとした夫婦関係にある男女から生まれなければいけない、という時代であったのである。
姦通罪という罪があった時代でもある。しかし姦通罪は何を保護法益とする罪だったのであろうか。
親子の関係と言っても、母と子の関係は分娩という事実で確定するから簡単なことであるが、問題なのは父と子の関係である。
子供ができた原因が誰にあるのか国は確認しようがないからである。知っているのは母だけである。
結局法律をもってしても父子関係は断定できないから、民法は「妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子とする」ではなく、「妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定する」とした。
推定するという親子関係では不確かではないか、という疑問が生じる。
推定という意味は、とりあえずそういうことにするが、それを覆す事実を提示すればそうではなかったことにする、ということである。
この場合で言えば、とりあえず夫の子とするが、夫がその子は自分の子ではない、と主張し立証すれば親子関係はないことにする、ということである。
ところがさすが法律である。この場合、夫が自分の子ではない、と主張しても滅多にその主張が認められることはない、というのである。
自分の子ではないという主張は裁判で行うことになるが、つまり夫が裁判で主張しても裁判所はなかなかそれを認めず、この推定を覆させることはないのである。
「妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子と断定する」というような扱いが実際はされているようである。
昔から妻も不倫は多かったのかも知れない。夫の主張を簡単に認めていては、金太郎飴のように父親が何人出てくるか分からない、ということのようだ。
法制度は何より安定を求める。そうしないと法の権威が保てないからである。
自分の子ではないという主張については、裁判所は簡単にはそれを認めないというだけでなく、主張できる期間の制限とかいろいろ難しいことを定めている。
結局、婚姻中の妻が生んだ子は、たとえ自分の子ではないとしても、そんな女と結婚したあんたが悪い、だからその子の面倒見て育てろ、と民法は言っているのである。
現代はDNA鑑定などによって親子関係は明確に証明できるようになってきた。同性婚など時代の変化によって民法は時代に合わなくなってきたようである。
最初の女性の話にもどるが、やはり父親と子供の関係は薄い。母親と違って、父親にも子供にも親子の実感がないのである。
母親には腹を痛めたという思いがあるが、父親には他の実感はあっても、どこかを痛めたという実感はない。
だから、そのような父子関係に意味を持たせ、保ち、継続するには不断の努力が必要となる。理解し合う関係の構築が必要である。
と、わかったようなことを書いてしまったが、いやそうではない。そんなことではない。そんなきれいごとでも情緒論でもない。
父子関係に意味を持たせようとするから、嫌われたり無視されたりするのである。
互いに実感のないのが父子関係であるのだから、無理に実感を持とうすることはない。
父親なんてものは、自分が父親になってみると大したものじゃない、ということがすぐに判る。大した者でもないのに父親風を吹かせても馬耳東風である。
いい父子関係という人達を見かけることがある。しかしあれは父子関係ではなく顔見知り関係である。
人間関係は顔見知り関係にしておくのがいい。私も顔見知り関係の人とは何十年も親しく挨拶を交わし、仲良く、飽きることもなくつき合っている。(了)
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