75歳の壁

つぶやき

 例えば寿司屋に行って、70をとっくに過ぎたような板さんが寿司を握っていたらどうするか。私は店を間違えたと言って踵を返すだろう。私の年齢はそういう歳である。他人にそうするのであれば自分にもそうしなければならない。

 社会との関りにおいては、歳というものは客観が決めるものである。病気を機に仕事を辞めたが、辞めてよかったのかもしれない。

 何年か前、知人の紹介で仕事の依頼を受けた人と面談した際、「こんな年配の人とは思いませんでした」というのがその依頼人の開口一番の言葉であった。
 40代くらいの開業医の奥さんだった。それまで電話だけで打ち合わせをしていたのである。私の声は若い人のように聞こえるらしい。

 人様の財産を預かる仕事である。依頼人に依頼先が年寄りであることの不安を抱かせたらしい。若いと思っているのは自分だけだったようである。

 先日の新聞に75歳の壁と題する記事があり、こんなことが書いてあった。
 「75歳前後の年代は、体の自立度はやや下がっていくものの、死を意識するにはまだ早い年ごろです」
 「これに対し、60~74歳は一般には体も元気で、多くの人は仕事も楽になり、家族の扶養義務も軽くなって、時間的にゆとりが生まれる。私はこの期間を黄金の15年と呼んで、人生をもっとも楽しめる時期だと考えています」
 「気になるのが75歳前後です。心と体で変化のスピードにギャップがあると、精神的には不安定になりがち。75歳の壁を上手に乗り越える方法はあるのでしょうか」

 筆者は1954年生まれの男性で、大学卒業後生命保険会社に勤務され、定年退職後生活研究所ともいうべき肩書をもって執筆活動をしている人である。

 特に真新しいことが書かれているわけではないが、まさに私の気持ちや体の状態と符合するので気にとまったのである。

 なんとかの壁と、壁という言葉が流行っているが、75歳にも壁があったとすればやはりそうだったのか、という気持ちになる。

 確かに死を意識するには早すぎる。60~74歳はよく働き、よく遊び、無駄遣いをずいぶんした。そして75歳には病気になってしまった。この記事のとおりである。まさに黄金の15年を過ごして75歳の壁を迎えたことになる。

 では75歳の壁をどう乗り越えるのか。筆者は10年以上にわたって500人以上の定年後の人たちを取材してきたことから次のような指摘をしている。

 「幸せに年齢を重ねている人は未来の不安より今を生きることに集中している」
 多分そういうことであろうことは容易に想像がつくが、このことに関連して筆者は知人のことを述べている。

 55歳で会社を定年退職した知人が、60代後半を過ぎて自宅で母親の介護をした。  母親の食事もすべてその人が作った。
 衰えていく母親を目の当たりにして「人は最後は朽ちていくのだ」という思いを新たにした。
 92歳で母親が亡くなった時、彼がたどり着いた結論は「70代の今は死ぬことや最期の迎え方などはなるべく考えず、今を生きることを楽しもう」ということだった。73歳の今仲間とバンドを組んで人生を楽しんでいるという。

 人は朽ち果てていくものである。これから先このブログをどのように書いていくか。下手をすると、とりとめもなく暗い話になってしまう。新聞記事の筆者もそれを意識しているのか、「最期のことは考えない」ということをこの記事の結論にしている。

 「多くを求めず今あるものに楽しみを見出す」この生き方に反論があるはずはない。そのとおりである。最期がどんなものであるかはみんな分かっているのだから、元気なうちは最期のことは考えず、できることなら生きることを楽しんだほうがいい。
 
 言われるまでもなく、75歳の壁を乗り越えるのにこれ以外の方法があるはずもない。

 人は考えながら生きてきたはずである。学校時代の勉強も、社会に出てからの生活も、考え考えながら生きてきたはずである。程度の差はあれ生きることは考えることであった。

 しかしある時期を境に人は考えないほうが幸せである、ということになる。なにかやりきれないものを感じるが、そのほうが確かに幸せに暮らせそうである。

 「いい人生だった」と言いたい。さだまさしという人の歌に亭主関白というのがある。この人は恥ということを知らない人だと私は常々思っている。そのように私が思う理由の全くズバリの例の一つがこの曲である。

 歌詞の後半に「お前のお陰でいい人生だったと俺がいうから、必ず言うから」」とある。この部分をもって亭主関白の歌は亭主関白の歌ではなく、愛する女性を歌った愛の歌だと理解されている。さだまさしの優しさと深い愛が表現されていると言う。

 とんでもない。そんなバカなである。本当に優しいのなら歌になんかするはずはない。「いい人生だった」という言葉は人に聞かせるものではない。自分の愛した人の耳元で囁くものである。

 人に聞かせるのは自己顕示である。受けを狙った欺瞞である。さだまさしさんは奥さんに言う言葉を、恥も外聞もなく世間の見世物にしたのである。こんな歌に愛を語らしてはいけない。

 75歳の壁を乗り越えるのは、生きることを楽しむことであった。しかし生きることを楽しむにも邪魔が入ることがある。邪魔が入らないようにするのが長年培った老人の知恵というものだろうか。(了)

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