がんと残りの人生

つぶやき

 私が去年の初め頃まで考えていた残りの人生は、元気なうちはたとえ何歳になっても仕事を続け、年金や預金に手をつけず、好きなものを食べ、気に入った服を買い、もう3,4回くらいは車を買い換え、年に2,3回は中国人の来ないいい温泉にでも行ってのんびりし、年に1回はヨーロッパの音楽祭巡りをし、80を過ぎてみすぼらしい年寄りになったら、仕方がないから仕事をやめ、残りの人生を遊び呆けよう、というものであった。

 この完璧なまでの人生設計に変更をもたらしたものはがんであった。がんは私の人生の予定に入っていなかった。
喉頭がんの宣告を受けて、うろたえることはなかったが、まいったな、という気持ちと、面倒なことになったな、という気持ちが半々であった。

 喉頭がんをネットで調べて、立川談志や忌野清志郎という人がこのがんで死んだことを知った。ちょっと行った先に死があるな、と覚悟した。

 私のがんは初期ということであった。1センチほどの腫瘍が声門にできていたらしい。それを取ってしまえば一応治療は終わりとなるが、がんがとり切れたか、転移しているかはその時点では医者でも分からない。

 結果を知るのは早くて1年、遅くて5年の経過が必要ということであるが、それではっきりするか、というとそういうわけでもない。その期間、再発、転移しなかったから大丈夫かもしれない、というだけのことである。

 胃がんで1センチの腫瘍となれば胃の半分、あるいは全摘となる。声門という全体でわずか数センチしかないところにできた1センチのがんを、その部分だけ取ることと比例計算上合わない。そんなことを医師に言ったが、何も答えてくれなかった。

 がんから生還した、がんを克服したという話はたくさん聞くが、自分がなってみると、がんはやはり生より死のイメージになる。がんとの闘いは死との闘いだと考えざるを得ず、そう考えれば人生の選択肢は狭まざるを得ない。

 歳を取ることは人生初めての経験である。それも病気を抱えてのことになってしまった。いつものことだが、これからの人生いろいろなことを考える。

 しかし考えたところで、堂々巡りをしているようなもので、人生の指針になるようなものは出てこない。人生の指針などこの歳になったらとっくに終わっているのである。

 しかし一つだけ、年寄りの生き方に役に立つ言葉がある。「人間死んだらおしまいだ」、ということである。これは、人間は死ぬものである、とおなじ意味ではない。

 人間は死ぬものである、という言葉にはなんの救いもないが、人間死んだらおしまいだ、という言葉には、おしまいになるまでの人生を感じる。

 人生いかに生きるか、と考えてしまうと行き詰まるが、人間死んだらおしまいだ、と思えば、おしまいになるまで逆算して、何かしようという気になる。

 この言葉は私の母がよく口にした言葉である。もちろんポジティブな言葉として言ったものではない。なにか思いつめたような時に口にした言葉である。私はこの言葉によって、残りの人生少しは広がりをもって生きていけるかな、と感じている。

 

コメント

  1. マルコ より:

     こんにちは。
    今二人に一人はガンになる時代です。

    私の両親は二人ともガンになりました。

    母は舌癌と胆管がん、父は大腸がんでした。

    特に母に対して可哀そうだった、優しくしてあげたかったと後悔しています。

    いつまでもそういう思いをしているのは生前の母の性格から良くないので悪い事は考えないよ

    うにしたいです。

    人生は一度だけですから気持ちよく生きていきたいです。

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