今日から大相撲名古屋場所が始まった。夕方の時間をつぶすことができる。
いつも前の場所で、少しは力士の顔と名前を覚えるが、新しい場所となると主だった力士は別として、ほとんど忘れてしまう。この力士は日本人と思っていたらモンゴル。この力士はモンゴルと思っていたらカザフスタンだった。
先日、久しぶりに電話で話をした、かつて同業の知人は、大腸がんだの口腔がんだの不整脈などと満身創痍らしいが、唯一の楽しみは大相撲観戦だという。
朝乃山が幕下筆頭。今場所次第で関取復帰。ずいぶん不運な人であった。
しかしいつもテレビ中継で思うが、相撲の屋根は宙に吊ってある。
テレビ映りのためとか、怪我防止のためとか言われているが、屋根が浮かんでいるのはやはり不自然である。
ウクライナ出身の力士が二人とも勝って賞金を受けていた。よかったと思う。戦費として本国に送金するのだろうか。
国宝という映画が評判のようである。「3時間の長さを感じなかった」ということがこの映画の評価になっている。家内も娘も同じことを言う。
長さを感じないということは、飽きなかったということ。
人生において飽きないということは大事なことである。
私は全く関心も興味もない。国宝というのだから、奈良・京都の仏像の記録映画と思っている。
長さを感じないのは大腸カメラの検査時間だけでいい。こんな歳になって椅子に縛られて、3時間も映画など見る気もしない。
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