「淡谷のり子さんと美空ひばりさんは若い頃から犬猿の仲だった」
「お客を泣かせるのがプロ。自分が泣いてどうすんの」
「演歌が日本の歌謡界をだめにした」
きのうの新聞に淡谷のり子さんのことが書いてあった。朝の連ドラで淡谷のり子さんをモデルにしたドラマが放送されているらしい。後者の言葉は淡谷さんの言葉である。
そんなに関心のある人ではないが、何ごとにも関心を持つことがボケ防止になると聞いていたから、新聞紙面半分の結構長い記事であったが最後まで読んでしまった。
淡谷さんとひばりさんが犬猿の仲だったというのは意外である。泣きながら歌うのがプロらしくなく嫌いだと言うなら、淡谷さんの方から犬猿の仲になったのかもしれない。
言うまでもなく、ひばりさんは「悲しい酒」を歌う時涙を流す。いつもそうなのかは知らないが、テレビで見るときはいつも泣いていたように思う。
なにを想って泣くのか知りようもないが、泣くのは1回であったら素晴らしいことであった。ひばりさんは歌手であるが女優さんでもあったから、涙を流すことは簡単なことなのであろう。なんせ器用な人であった。
多くを書くようなことではないが、あの涙は誰が見てもやりすぎ。淡谷さんの言う通りである。実は私もひばりさんが涙を浮かべながら歌う姿が好きではなかった。
ひばりさんは青春歌謡というものを歌った事がないのではないだろうか。つまり乙女の恋心を歌ったことがないと思うのである。
12歳で河童ブギウギや東京キッドを歌ってからたくさんの歌を歌っているが、20歳前後になっても恋の歌がない。リンゴ追分は15歳であるが恋の歌ではない。
ヒット曲ということで言えば「柔」は27歳、「悲しい酒」は29歳である。「真っ赤な太陽」は恋の歌らしいが、30歳のひばりさんには恋の歌は似合わなくなっていた。歌わないほうがよかったと言われる歌である。母親が恋の歌を許さなかったのかもしれない。
淡谷さんが活躍された時代に私は生まれていないから、後年蓄音機やラジオで聞いただけである。「雨のブルース」、「別れのブルース」。確かにうまい人である。その後のチャラチャラする以外芸のない若い歌手を批判するのも当然のことである。
淡谷さんが亡くなられて25年近いらしい。お元気な時はいつまでも元気だなと思っていたが、もうそんなに経つかなと思う。
指摘された通り日本の歌謡曲はだめになってしまった。
島倉千代子さんはひばりさんよりひとつ年下である。私の思い出にはひばりさんより島倉さんの方が大きい。「この世の花」、「東京の人よさようなら」、「からたち日記」。小学生の頃よく歌ったものである。ひばりさんが歌うことのなかった乙女の歌であった。
島倉さんはひばりさんを心から尊敬し、ひばりさんは島倉さんを妹のように可愛がったという話が伝わっている。
淡谷さんとひばりさんは30歳の年の差がある。大歌手として、もう少し大人の振る舞いをしてもよかったのではないかとも思われる。
淡谷さんは戦時中の慰問で「これで思い残すことなく死んでいける」と晴れ晴れした顔で出撃していった特攻隊員が忘れられないという。自分の歌が死に赴く若者たちの背中を押したのではないか。淡谷さんはそのとき客席に背を向けて声を出して泣いたという。
軽々しく思わせぶりな涙は見せるものではない。涙を演出に使ってはいけないということを淡谷さんは言いたかったのかもしれない。(了)
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