「心情伝達制度」というのが一昨年の12月から運用されている。心情を伝達する。そんなことが制度になるのだろうか、という疑問が湧く。
調べてみると、「犯罪の被害者などが自分の気持ちを、刑務所や少年院といった刑事施設の職員を通じて加害者に伝える」という制度。
被害者側が希望すれば、伝達の際に加害者が述べた内容について通知を受けとることができる。
「被害者側のつらい気持ちや反省を望む気持ち、被害弁償などについて聞きたいことを、加害者に伝えることができて、加害者にとっても、被害者の心情を知ることで、贖罪や更生の気持ちが生じることが期待される」と解説にはある。そんなにうまくいくだろうか。
この制度を利用して、加害者からの書面を受け取った人の記事がある。
横浜市で2000年、当時22歳の女性が勤め先から帰宅途中車にはねられた上、包丁で首を刺されて殺害された。
交通事故ということではなく、意図して車ではね、そのうえで首を刺したらしい。
3年後、被害者の中学時代の同級生だった男が自首し、殺人罪などで無期懲役が確定した。
当時は裁判における被害者参加制度はまだ制定されていなかったので、裁判で被害者の父親は思いを加害者に言うことができなかった。
事件の翌年には、精神的に不安定になっていた妻が電車にはねられて、53歳で亡くなっている。
父親は、「家族の未来を壊された」「刑が確定して17年たつが、今どんな気持ちで生活しているのか」を加害者に尋ねた。
加害者からの書面には、「俺を憎んでもどうしようもない。過去のことは忘れて、今できることをやりたい。人生をやり直すことを考えている」と述べたと記されていた。
この書面を読み終えた父親の思いをここに書くまでのこともない。
加害者に被害者としての心情を伝えたいという気持ちは分かるし、加害者の反省の言葉を聴きたいという気持ちも分からぬことではない。
しかし人を殺害するような人間に、己の心情を伝えたところでなんの意味もないことに気づくべきであるということも言える。
オウム真理教の死刑囚には、あれほどの優秀な頭脳を持ちながら、自分が犯した行為に反省はなく、麻原彰晃を信じたことを悔やんでいる人間が何人もいた。
加害者は、自分は悪くない殺された方が悪い、という意識を持つ。
刑務所内で元気に暮らしているということは、そういうことである。
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