誰もが感じることだと思うが、サッカーのPK戦というものは後味の悪いものである。
負けた責任が一人の選手にストレートにのしかかってしまうからである。
サッカーはチームプレーのスポーツであるが、こんな方法でしか決着をつけることができないのであろうか。
PK戦とは言ってみれば丁半博打のようなものではないか。ゴールキーパーには右か左かの判断しかできない。キッカーの動きを見て判断したら間に合わない。距離が短すぎるのである。
力を出し尽くすということではなく、どう予想するかということである。それもスポーツだというのかもしれないが、せっかく同点で競り合ったいい試合が博打の世界で終わることになる。
スポーツを見終わったすがすがしさというものがPK戦にはない。
勝負の世界のことであるから勝ち負けは当然のことであるが、負けにも納得というものがある。精一杯力の限りを尽くして負けたのであれば口惜し涙はあっても悔し涙はないはずである。
一人の選手が一生責任を背負うようなゲームはやるべきではない。野球のタイブレークのように全員が参加するプレーが考えられないものだろうか。
滅多にスポーツの観戦はしないが、昨日は市立船橋の試合を後半の終わりごろから見ることになった。
船橋は義兄が教師をしていた町であり、市立船橋の名はよく耳にしていたからなにか親近感があったのである。
応援というわけではないが、なんとなく市立船橋に気持ちが移ってしまった。後半終了近く同点ゴール。そして涙なみだのPK戦による敗退。
若いということは美しいものだと思う。青年たちがみんな実に格好良かった。(了)
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