9月が終わる。今年はいつまでも苦月だったが、やっと秋が来たようだ。いつもの公園がわずか2、3日で黄色く色づいていた。
私の蕎麦サイクルは1週間くらいらしい。蕎麦が食べたくなって、ウォーキングの後、いつもの江戸東京そば打ちの会の店に行った。
蕎麦には麻薬のような常習性がある。もちろん使ったことはないが。
蕎麦の帰り、醤油がなくなっていることに気づき、日高市の醤油醸造元に買いに行くことにした。少々値段の張る醤油であるが、大量市販品とは格が違う。醤油差しを割ってしまい、その購入のこともあった。
1滴ずつさせる醤油差しがあって、高血圧を気にする高齢者にはうってつけの品に巡り会うことになった。
醤油醸造元から車で5分くらいのところに牧場がある。緑の多いところではあるが、こんなところに牧場?、と思う牧場である。日曜日、いつもとは違い子供連れの人達で賑わっていた。
いつものようにソフトクリームを食べ、牛や豚やヤギたちを眺め、心地いい風に吹かれながら、この平穏がいつまでも続いてくれるといいな、と思う。
家に帰り、ニュースは能登地震のその後の状況を伝えていた。豪雨の被害も重なって何とも言いようもない状況である。
倒壊したビルは能登地震の象徴のようである。解体が進まないらしい。
このビルの隣家の人が圧しつぶされて2人亡くなっている。被害者の家族が、妻たちは地震で死んだのではない、と言っていた。
その後ニュースは、自民党や内閣人事について報道していた。
高市さんは党役員を固辞したという。返り咲く人が何人もいるようだ。論功行賞ということなのだろう。驚いたことに三原じゅん子を入閣させるという話もあるらしい。
石破さんは裏切りの人でもある。何をするか分からない。
最後はリーリーとシンシンの中国帰還のニュースであった。高齢による高血圧の治療もあるらしい。
驚くことに、10頭のパンダの写真を見せられた年配の女性が、すべてその名前を言い当てていた。目の周りが黒いということでどれも同じだと思うが、違いが分かるというのである。恐れいったとしか言いようがない。
上野動物園だけでは収まらず、成田空港には大勢のファンが押しかけていた。飛び立つ飛行機に向かってハンカチを振っている。中には泣いている人もいる。
いつもなら「なにバカなことやっているのか」と言うところだが、10頭の名前を言い当てたファンのことや、必ず中国に会いに行く、という人の話を聞くと、パンダというのはすごいものだと思う。
9月は災害の月である。車を運転しながら、ここで大地震が起きたら食べる物はないし、道路が寸断され家に帰ることもできなくなり、大変なことになるな、と思ったりしていた。昨日、災害時に備えて、食料備蓄の話を新聞で読んだせいかもしれない。
最低でも3日分の食料を確保していれば復旧するだろうと言っているが、3日分で助けは来るだろうか。いかんせん関東地方は広い。そこに1000万人の人がいる。物流は止まる。最低でも3ヶ月分くらいの備蓄が必要ではないか。
いつも地震のことが頭にある。能登の人達には申し訳ないが、残り少ない命。大地震を経験することなく、三途の川を渡りたい。
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