義兄は映画が好きだった。たぶん邦画、洋画のほとんどすべてを観ていたのではないだろうか。
しかしその義兄もミュージカル映画はダメだったらしい。「なんか、どうもねー」と言う義兄の顔と言葉を思い出す。
映画の中で突然主人公たちが歌ったり踊ったりすることについていけないらしい。
私も義兄の気持ちは良く分かる。素晴らしいエンターテイナーなのであろうが、日本人にはちょいと気恥ずかしい。
義兄はカラオケもダメだった。義父母の金婚式などの記念日に、親族揃って一泊どまりの旅行をしたが、カラオケが好きだった義父のために用意した宿のカラオケ店に義兄が顔を見せることはなかった。
義兄はエンターテイナーを観ることを好まなかったが、自分がエンターテイナーになることもイヤであったようだ。
カラオケはひところのブームはとっくの昔に去ったようだが、日本人の生活に定着した感がある。一人カラオケなどと言う言葉を聞くとそう思う。
日本人は歌が好きなのであろうか。昔は歌は上手い人が歌うものであった。
日本の各地で夏祭りのときなどに舞台が設けられ、のど自慢大会が開かれた。NHKが今でものど自慢というのはこの継承である。まさに「のど自慢」なのである。
町内会で推薦された人が舞台に立ち、アコーディオンを伴奏に歌った。
誰でも舞台に立てるというものではなかった。
歌は人に聴かせるものであり聴くものであったが、カラオケの登場により誰もがエンターテイナーになれるようになった。
カラオケが定着した理由はそういうことかなと思うが、高齢者にとっては健康にいいと言うし、ボケ防止にもなるという。カ ラオケはこの社会にゆるぎない地位を得たようだ。
しかし若い頃、スナックなどでカラオケを歌うと、なんで客の自分が歌わなければいけないのか、と疑問に思うことがあった。本来歌は、店の者が客をもてなすために歌ったものである。
客に歌わせておいて、新しい客が入ってくればそちらにしか気を遣わず、こちらは昴なんかを歌って盛り上がったつもりでいたが、終わればこちらに顔を向けることもなくお決まりの拍手で、本当スナックのカラオケというものは客をバカにしたものである。
カラオケがない時代、人前で歌うことは恥ずかしいことであった。
忘年会や社員旅行の宴席でも、人前で歌うことは結構気持ちの負担になるものであった。
むかし歌うことを強制されるような場があった。観光バスである。
どういう訳か観光バスのガイドさんは、帰り道に乗客に歌を歌うことを求めたのである。
はじめは、「どなたかお歌いになる人はいらっしゃいますか」、と問いかけるのだが、いないとなると、ではマイクをこちらから回しましょう、と言って乗客全員が歌わなければならないようにするのである。
歌いたくない人は歌わないでいいのだが、マイクが回ってくることは気分のいいものではなかった。
小学生の頃、叔父が経営していた観光会社の日帰りミカン狩りツアーに、家族みんなで行ったことがある。
帰りのバスでガイドさんが乗客にマイクを回す。私は自分の番になったらどうしようとびくびくしていたが、兄が歌ったのである。
母や叔母には、意気地のない気弱な性格といつも言われていた兄が、毅然と三橋美智也の古城を歌ったのである。どうして兄が歌を歌うんだ、と私は驚いた。
しかし兄は伴奏もないのに最後までちゃんと歌った。
古城には、この当時の歌にある愛とか恋とかいうものはない。古城にまつわる哀れさ、侘しさを、その凛としたたたずまいに寄せて歌ったものである。
兄は子供心にこの歌が好きだったのであろう。
後年、兄の結婚式の時、彼の半生を音楽で来客の人に伝えようと楽譜を用意した。ピアノ用に編曲して、当時小学校4年生であった娘に弾かせた。
彼のまさに青春であったシューベルトの冬の旅は入れたが、古城を忘れた。
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