2つの靴磨きの歌

つぶやき

 また猛暑がぶり返すようだ。朝から太陽は全開という感じ。

 午前3時の深夜ラジオは昭和20年代の歌謡曲や唱歌。「憧れのハワイ航路」と「長崎の鐘」が流れていたのは覚えているが、途中から聴いて途中でまた寝てしまった。

 昭和20年代は私が7歳までの期間。当時ラジオなどから聴いて覚えているのは「小鹿のバンビ」と「お富さん」くらい。
 
 「山小屋の灯」が放送されたかどうかは分からないが、この歌も22年の歌。当時聴いた記憶はないが、この時代にこんな素晴らしい青春歌謡があった。

 「君らの泊りはいでゆの宿か」と歌う歌がこのところ耳に残っている。何日か前に古関裕而さんの特集で聴いた「高原列車は行く」である。この歌も昭和25年の歌であった。

 ちょうどその頃、居候していて世話になっていた叔父が観光会社を始めた。「いでゆ」は「ゆうらんバス」と共に叔父たちがよく口にしていた言葉であったが、どういう意味なのか分からなかった。

 いでゆは「出で湯」と書くのだろうと思ったのはそれから大分経ってからである。
 「ゆうらん」が「遊覧」であることも中学生くらいまで分からなかった。

 「高原列車は行く」の歌詞を見てみると「温泉」となっている。温泉と書いて「いでゆ」と歌っている。温泉というより、いで湯と歌った方が確かに風情がある。

 この年代には今でも歌い継がれている童謡や唱歌が発表されている。
 里の秋、夏の思い出、さくら貝の歌、あざみの歌。ぞうさん。

 戦争が終わって間もない時であるが、戦争の悲惨さやむごさを歌った歌がほとんどない。戦争を恨んだ歌に菊池章子さんの「星の流れに」がある。

 靴磨きの歌は2つある。ひとつは暁テル子さんの「東京シューシャインボーイ」。もうひとつは宮城まりこさんの「ガード下の靴磨き」。戦後の貧しい時代、靴磨きで生きていた少年を歌ったものだが、内容は全く違う。

 「東京シューシャインボーイ」が、いつも来るのを待っている赤い靴のお嬢さんは、チョコレート、チューインガムにコカ・コーラをお土産に持って来る。それにダンスがお得意で英語がペラペラ。米兵相手のオンリーさんだったのではないだろうか。

 明るい歌であることは悪いことではないが、このような明るさには品がない。
 
 それに比べ「ガード下の靴磨き」。いい歌だと思うが、救いようもなく真っ暗である。
 お父さんは死んで、お母さんは病気なのだ。

 昭和20年代、2人の靴磨き少年がいた。ひとりは愉快な靴磨き、もうひとりは夢のない身がつらい靴磨き。
 そういう時代であったということなのか。

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