小学生の3年生の時だったと思うが、カレンダー作りの授業があった。
そのときに月には30日と31日や、うるう月があることを知ったと思う。「西向く士」(ニシムクサムライ)である。
月によって1つの曜日欄に斜線で区切られた2つの日が記載されているカレンダーがある。月初めが金曜日とか土曜日の場合、5段のカレンダーでは曜日欄が足りなくなるためである。
私はそれは一つの飾りだと思っていた。私の作ったカレンダーは日にちが連続しないものになって、私のカレンダーを見た先生から叱られた。
11月は霜月というらしい。弥生3月、皐月晴れなど、月の別名には季節の情緒があるが、師走という言葉は季節ではなく世相を表している。
「年の瀬もせまり、何かとせわしない毎日ですが」、という文言があいさつ文の定番であったが、今思うと懐かしい。
今は門松も竹飾りもまったくなくなってしまった。年の暮れの風情がどこにもない。とはいえ、こんなに歳をとっても師走には新年を待つ楽しさを感じるものである。
以前持っていたセカンドハウスの隣家のご主人が亡くなったという知らせがあった。昨年の秋口に亡くなられたが、やっと気持ちの整理がついたので、と奥さんから家内に連絡があった。82歳、心筋梗塞ということであった。
以前は、80歳を過ぎて心筋梗塞で亡くなるという知り合いは一人もいなかったが、自分がこの歳になると次々と訃報が続く。12月は訃報の月でもあった。
12月は落ち葉の月でもある。我が家の前は公園なので、この季節落ち葉掃きに時間と体力を取られる。といってもやるのは家内である。
我が家は角地ということもあり、近所の落ち葉が寄せ集まってくる。自分の家の前以外は掃かないでいいというルールが成立しているようである。
昔は落ち葉は一カ所にまとめて焚火にしたものだが、今は焚火は禁止である。なんでもかんでも禁止の時代になってしまった。朝もやの中にたちこめる焚火の煙が懐かしい。
忘年会をやることもなくなってしまった。あるのは定期検診だけである。12月は特に多い。いつもの4つの健診に、今年は補聴器検診というものが加わった。それも29日である。
医師は座っているだけであるから、師走の師とは医師ではないことは間違いない。
歳とって、元気に医者通いができるのが人生最後の花道である。(了)
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