久しぶりに関越道の練馬から目白通りを走った。
練馬区役所の周辺はひときわ高いビルが道路の両側に建ち並び壮観であるが、思うことは景色の壮観さではなく、このビルが大地震で倒壊したら、さほど道幅の広くないこの道路は完全に封鎖ではないか、ということであった。
道路が寸断されれば物流はストップする。物流といえば生鮮食料とか日用品ということになるが、最近降圧剤などの薬を飲むような身になると、薬の供給も止まってしまうのだろうなと考えてしまった。
東京のビルラッシュを知らないわけではないが、普段目を遮るものがない郊外の道路を走っている者にしては、両サイドから倒れ掛かっているように見えるビルの存在は恐怖でもある。
早くここから立ち去ろうという思いで、早稲田方面に車を走らせた。
若い頃世話になったアパートの家主さんが101歳でご健在である。
10年ほど前までは盆暮の挨拶に訪ねていたが、8年前に奥様を亡くされてからはデパートの配送にしていた。
以来ご無沙汰ということになってしまった。会いに行かなければと思い、先日娘さんに電話をすると、老人施設に入所しているという。
2年程前に誤嚥性肺炎を起こし、娘さんの判断で老人ホームに入所することにしたらしい。それにしても99歳くらいのときのことである。その頃まで税務申告などはご本人がしていたというから驚きである。
ホームは都電早稲田から5、6分の、閑静な住宅街の一角にあった。なかなか立派な建物である。一見して高そうだなと思って、娘さんに、「高いでしょう」と訊くと、「ええ」とだけ答えていた。
家主さんは部屋の前で私を出迎えてくれた。車いすに座っていたが顔の色つやはとてもいい。顔つきにもボケたようなところはなかった。
しかし私のことが分からなかった。耳が遠いらしく、娘さんがノートに、「わざわざ来てくれたのですよ」、と私の名前を書いたが分からないようであった。
手を握りたかったが、なにか感染するようなことがあってはと、家主さんの足をさすりながら挨拶をした。おもわず涙が込み上げてしまった。
家主さんはいつもそうであったように、「おいでいただいてありがとうございます」と何度も私に頭を下げていた。
まもなく昼食の連絡があり、私は車いすを押して食堂に向かった。今日のランチはカレーライスということであった。
私は家主さんがカレーライスを食べるところを見ることもなく、ホームを後にした。
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