警察と検察に関する2つの記事があった。
一つは、「大川原化工機」の冤罪事件に関する警察内部の資料が、警察庁幹部の指示によって破棄されていたこと。
もうひとつは、 融資金詐欺事件で東京地検特捜部に逮捕された会社社長が、取り調べで執拗に侮辱されたなどとして、同部に所属していた男性検事を近く特別公務員暴行陵虐容疑で東京高検に刑事告訴する、ということである。
警察が自らの失態を公開するはずはなく、検察は自白させるためには何をしても許されると思っている。
まだ30になる前、政府の住宅融資制度を取り扱う団体で働いていたことがあるが、同じ制度を取り扱う大阪の団体の幹部が融資詐欺で逮捕された。
私の勤めていた団体にも大阪地検特捜部の捜査が入り、各部署の責任者が事情聴取を受けたが逮捕には至らなかった。幸い私は下っ端であったので事情聴取も受けることはなかった。
大阪を逮捕して、同じことをやっていた東京を見逃した。取り調べ検事は「頂門の一針」と言ったらしい。
「頂門の一針」にはいろいろな意味があるが、この検事は「見せしめになればいい」と理解していたようだ。
「見せしめ」という意識を持っている人間は危険である。
交通の取り締まりでも、違反をしている車が何台いても、白バイ1台で捕まえられるのは1台だけである。
あの車もなぜ捕まえないのか、と問いただしても、見せしめであるから全部捕まえる必要がない、と警察官は答えるはずである。
日本の刑事手続きに関して、わずかであるが最近やっと批判されるようになってきた。
「警察や検察に間違いはない」という意識を変えさせなければ、冤罪や不当な取り調べは今後も続く。
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