「音楽の泉」というNHKのラジオ番組がある。昭和24年に放送を開始し、いまでも続いているクラシック音楽の番組である。
堀内敬三さん、村田武雄さん、皆川達夫さんたちが歴代の解説者であった。私は村田武雄さんの時代が長かった。
解説は、曲が交響曲であれば各楽章ごとに音楽を止めて説明するというようなものであったので、クラシック音楽の初心者にはとても分かりやすいものであった。
同名の本が出版されていた。中学校の図書室で見つけたのである。
音楽が文章で説明されていた。
例えば未完成交響曲は「人生の苦悩を表すかのようにコントラバスの重厚なメロディで始まり、続いてバイオリンによって清らかなテーマが歌われる」といった具合である。
重厚だとか清らかなどということは聴く者の印象である。そうであるのに、この本の通りに聞かなければ未完成交響曲は分かったことにならない、と思っていた。
しかしこれは音楽にとって不幸なことである。音楽は説明するものではない。あの時代誰もそのことに気づいていなかったようだ。
最近の解説者は「今日のウィーンフィルはピッチをかなり高くとっているようです」などとマニアックなことを言うようになって、「音楽の泉」のように解説することはなくなった。
ピンクレデイという2人組の歌手がいた。今から思えばとんでもない人気であった。
出す歌出す歌全部大ヒットしたようだ。2人の写真は子どもの下敷きから弁当箱からありとあらゆるものに印刷された。
このピンクレデイが歌う歌にはすべてに共通するものがある。それは三部形式で作られているということである。特筆するほど面白いことではない。
激しいリズムと歌唱で歌は始まるが、真ん中は必ず抒情的な部分がある。それもかなり凝ったメロディである。そして最後はまた激しく終わる。
作曲者は都倉俊一。歌謡曲が三部形式で書かれることはめったにないように思う。この人はドイツで本格的な音楽を学んだ人である。
作曲はなんといってもメロディの美しさである。急・緩・急の緩にこだわるのは彼のプライドであろうか。
誰が何と言おうと、やはりチャイコフスキーのメロディは素晴らしい。特にバレー音楽は、あとからあとから贅沢と言っていいようなメロディが溢れ出ている。みんな信じられないようなメロディである。
こんなエピソードをラジオから聞いた。
5番の交響曲はチャイコフスキーも自信があったようだ。しかしその批評を求められたたブラームスは、構成力に欠ける、というような批評をしたらしい。
それに対してチャイコフスキーは、メロディは私の方が上だ、と言ったという。
ブラームスに対して言ったのではなく、弟子に言ったようである。
チャイコフスキーの気持ちが良く分かる。チャイコフスキーはビロード、ブラームスはツイード。
最近買った「昭和歌謡」というCDに、スーダラ節が入っていたのでこのところよく聞く。植木等さんが歌った歌である。
私が中学2年生の頃テレビに流れ、たちまち大人気となった。今までにない歌詞である。それまでの歌のように夢も追わず感傷もなく自虐的ですらある。
人々はあきれながら驚きながらもこの曲を愛したと思う。
作詞はあの無責任な東京都知事であった青島幸男氏である。
後年、植木等は次のような話をよくしていた。
スーダラ節を歌うことになった時、実に困った。あの歌を歌ったら私のその後の芸能人生がすべてダメになってしまうと思ったからだ。
父親に相談すると、しばらく歌詞を見ていた父親は、この歌には哲学がある。人生の何たるかを看破した素晴らしい歌だ、と絶賛した。
それを聞いて私はこの曲を歌うことにした、というのだ。
父親は僧侶だったらしい。どうもできすぎた話のようにも思う。
芸能人は自らエピソードを作る。そのエピソードが他人の口によって語られることの効果を知っているのである。この話も作り話だと思うが、しかしなかなかの秀作である。ゴーストライターがいたのではないか。
メニューヒンが来日した時、小畑実の歌う「高原の駅よさようなら」という歌謡曲が気に入り、離日の際にそのレコードを買って帰ったという。私はこの話が好きである。 私がこの曲のファンであることもその理由であろうと思う。
弦楽器が作る汽車の汽笛。明るく澄んだテノールの美声。
あのメニューヒンがこの曲に何を感じたのだろうか。それを想像することがとても楽しいのである。
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