つんくさんと忌野清志郎さんという名前を知ったのは、喉頭がんに関する情報を検索していたときである。 つんくさんの名前には♂のマークがつくらしいが、ここでは省略させていただくことにする。
お二人とも音楽関係者ということであるが私は知らなかった。私も音楽は好きであるがジャンルが全く違うようである。お二人には失礼だが、関心の持てない音楽の世界である。
このお二人に関心があるのは、お二人とも喉頭がんを発症され、それが原因でつんくさんは喉頭を全摘され、忌野清志郎さんは亡くなってしまうことの経緯である。
私も同じ病気を持つ身として、どうしてそういうことになってしまったのか、お二人の病状を知るにつけ、理解しにくいものを感じるのである。
つんくさんはもともとのどの具合が悪かったらしく、がんと分かる前から大きな病院の声帯専門の医師のもとに通っていたという。
それも「20年来同じ先生に診てもらっていた」というのである。シャ乱Qとかいう音楽グループの結成25周年記念ツアーのあと、声枯れが長く続いたため、検査してみるとがんと判明したということである。
つんくさんは手記の中で、自分を診てくれる医師を信頼し、セカンドオピニオンを受けるのは、「診てくれている医師に失礼」だと思い、行わなかったと述べている。
そのがんは治療の結果、「完全寛解」と言われるまで治癒したということになっている。しかしハッキリとした病状の好転がなかったことから、あらためて他の病院で検査をしたらがんは消えていなかったという。そんなバカなという話である。
その時点ではすでに放射線等の治療は不可能で、選択肢は喉頭全摘の道しかなかったということになっている。
これが事実だとすれば20年もつんくさんを診てきた医師は何を診て、何を治療したのだろうか。医療ミスといっていいのではないだろうか。
忌野清志郎さんは、2006年7月に喉頭がんと診断されたが、手術をすると声を出せなくなることから、最初は化学放射線療法を選択した。
だが、この治療を続けると唾液が出づらくなり、歌いにくくなる可能性があるため、これを途中で拒絶して玄米菜食などの代替療法に切り替えたとされている。
そして完全復活祭と呼ばれる武道館でのステージを大成功に終えるのだが、その5ヵ月後には左の腰骨に転移が見つかり、活動中止を余儀なくされた。転移が治療中止の影響かどうかは分からないが、玄米菜食などという治療方法がどれほど有効なものであったのかは分かりようもない
清志郎さんが「歌」を選び、武道館で劇的な復活を遂げたとされているが、一度きりの復活に終わってしまった。声は健在であったが、命はもたなかった。治療を中止して最後の舞台に命を懸けたのであろう。
つんくさんはご健在であるが、お二人の治療の経緯はやはりおかしい。
忌野さんは最後の舞台のために命より歌を選んだ。つんくさんは家族のために喉を取ったが、やはり音楽家として寂しそうである。
命をとるか音楽をとるか。他人が言ってはいけないことである。(了)
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