音楽・音学・音が苦

音楽

 坂本龍一氏が亡くなられた。生前遺書めいた本を出版されていたこともあり、覚悟の旅立ちなのであろう。
 中咽頭がんを発症し、それは寛解したということだが、その後直腸がん、転移がんに苦しんだようだ。ご冥福をお祈りする。

 私は坂本龍一氏の音楽活動をほとんど知らない。映画音楽でアメリカのアカデミー賞を受賞したことは知っているが、YMOというトリオの音楽は一度も聞いたことはない。
 毎日新聞は朝刊の1面に訃報を掲載した。日本を代表するミュージシャンなのだと思った。

 音楽関係者のがんということでは大橋純子さんが気になる。
 ステージ1の食道がんを5年ほど前に発症され、その後元気に活躍されていたというが、再発したという報道があった。ステージ1のがんが再発、この話はつらい。

 桑田佳祐さんも確か食道がんを経験している。テレビで元気な姿を見るから完治したのであろう。
 知名度の高い人が報道されるから、音楽関係者の場合はポピュラー系の人が多くなる。
 クラシック系の人が病気になって報道されたのは小沢征爾さんくらいなものである。
 先日はお笑い芸人の妻が妊娠したという記事がネットにあった。何を考えて記事を作っているのだろうか。

 音楽という字にどうして楽という字がついているのだろう、と考えたことがある。
 音楽を聴くと楽しくなるから音楽と言うのかと思うが、それはそれでいいと思うが、楽と言うのは中国や日本でも、古来から雅楽とか舞楽として使われてきたものであることを知った。舞に関するものらしい。
 音楽は音と、舞を意味する楽を合わせたことに由来する、というのがどうやら正解のようである。

 明治以降輸入された西洋音楽は、教養として普及させたものであるから、音楽ではなく音学とすべきだったと思うが、古来の言葉を使うことにしたようだ。
 クラシック音楽のプロの人たちは、「音楽を聴く人はいいが我々には『音が苦』だよと」とよく自慢そうに言う。

 どうも日本の音楽界は、芸術的なものと大衆的なものに完全に分かれてしまっているようだ。
 アカデミズムとポピュリズムと言っていいのかどうか自信がないので日本語で言うことにした。この二つは融合することはない。

 クラシック音楽の人たちはポピュラー音楽を認めないし、ポピュラー音楽をやっている人間そのものも認めようとしない。

 ポピュラー音楽を1回でも弾いたバイオリニストは、流しの演歌歌手のような扱いを受ける。
 かくいう私も演奏家でも何でもない一介の聴衆なのに、ポピュラー音楽には関心がない。坂本龍一さんの音楽を知らないと言うのも正直言ってそういうところにある。

 クラシック音楽は高尚なものであるがポピュラー音楽は下等である。露骨な言い方をすればそういう風潮がある。
私はポピュラー音楽を下等とは思わないがやはり関心はない。
 よくクラシック音楽は難して親しみが持てないというが、私に言わせればモダンジャズとかシンセサイザーなどの音楽の方がよっぽど難しい。

 外国の著名な音楽家で、日本での演奏活動を一切経歴に載せない人がいることを聞いたことがある。一人や二人ではないらしい。

 かつて日本が景気がいい頃、外国のオーケストラや指揮者、ソリストが多く来日した。大阪国際フェスティバルはその後どうしたであろうか。とにかくあの頃は華やかであった。

 しかし今思うとそれだけあの当時、日本は金持ちになったということである。
 著名な音楽家たちが、東洋のはずれの、戦争に敗けた、まともな国とは思えなところに来るはずはないのである。招聘のため多額なお金を要したことだろうと思う。
 それこそ旅行代から弁当代、お土産代まで、「こっちでもつから」、ということだったのだろう。
 ギャラはたくさんとっても経歴には載せない。日本での演奏は恥ずべきことということになる。

 雑誌レコード芸術が休刊になるという。音楽の友ほど読んだ雑誌ではないが、やはり寂しい。レコードもCDも不要な時代になっている。レコードに針を落とし、ジャーという音の後に音楽が始まる。遠い昔の話になってしまった。

 レコード雑誌には私にとって忘れられない思い出がある。
 クラウディオ・アバドが日本でレコードデビューした時、カラヤンの後継者とか天才指揮者とか派手な宣伝がされた。

 曲はベートーヴェンの7番の交響曲。大家の風格を有する完璧な演奏と絶賛された。
 なにしろ若くてハンサムで格好いい。その時アバドは30代前半。私も関心をもって聞いた。その時私は10代の後半だったと思う。

 しかし私の印象は違った。完成された老練さをまとっているが実は未熟、というのが実感である。

 私にとって忘れられない思い出というのは、私と全く同じ感想を持った著名な音楽評論家の記述を見つけたことである。
 その雑誌がレコード芸術であったか音楽の友であったがはっきり覚えていない。これ以外の雑誌は読んでいなかったから、いずれであるかは確かである。

 音楽を聴いて他人と同じ感想を持つ。それが正しかったかどうかはどうでもいいこと。あの頃私も若く、感受性が豊かであったのだなと思う。(了)

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