雪かきと下町っ子

つぶやき

 きのう関東地方は雪になった。午前中から降り始め、細かい雪であったから午後にはかなり積もった。
 夜には雨に変わり、そのせいか今朝見てみると、雪かきをしないで済むような道路の状態であった。

 雪かきは誰のためにするのかと考えることがある。もちろん自分の家のためであるが、雪かきをしないと周りから文句を言われるのではないか、という気がしなくはない。
 しかし年寄りとって雪かきは危険である。身の安全のためには近所のことなどに気を使う必要は全くないと思うことにした。

 雪かきのことで思いついたわけではないが、どうも東京下町育ちにはお人好しの性分がある。
 しかしそのお人好しは、何事にも冷静沈着な倹約家の人から見れば理解することのできない、ストレートに言えば、「バカじゃないの」と言われるようなものである。

 私たち夫婦は東京下町育ちである。江戸っ子と言いたいところであるが、正確には江戸の川向こうの、江戸の端っこ、というべき地の出身である。
 本物の江戸っ子は、お人好しではあっても底抜けのお人よしではない思うが、江戸も端っこの方になると少しずれてしまうのか、底抜けのお人よしになってしまう。
 なるべくそう言われないように生活をしているが、時折地が出る。
 日々の生活費に困っているときでも、引っ越ししてきた隣人を家に招待し歓待したことがあった。

 ご主人が入院し、一人で寂しかろうとケーキを差し入れたり、色々声をかけたりしている。うまい魚が手に入れば大吟醸を用意して近所の知り合いを招待したことも何度もある。泥棒を追いかけて行って金を渡したこともあった。
東京下町育ちの「おっちょこちょい」というのはそういうものである。

 以前ブログにも書いたが、近所に住む国家公務員である人とゴルフをした際、馴染みのゴルフ倶楽部であることから食事代を私が払ったが、信じられない、という言葉が返ってきた。
 大した金額とは思わないがその人にはあり得ないことだったらしい。ケチであることが正常な人である、と私に言いたかったのかもしれない。

 人に良くして見返りが欲しいわけではない。お礼を言われたことなど一度もない。それこそ何十回も我が家にご招待したご夫婦とは今は疎遠である。
 東京下町育ちのお人好しがなぜ「おっちょこちょい」と言われるのかと言えば、他人も自分と同じ気持ちだろう、と思っているからである。

 人が訪ねてくれば食事を出すのは当然のことだし、なにか力を貸してくれるようなことがあったらわずかなものでも手土産を持たせるべきだと思っている。みんなそうだと思っているのである。
 しかしそうではないようだ。他人がケチだということではなく、お礼をする習慣が全くないとか、そういう人間関係が嫌いだとか、そういう関係で人とつき合いたくない、という考えの人の方が多いということである。
 おっちょこちょいの人間はそのことに気づかない。絶滅危惧種なのである。
 
 人が人とつき合うにはいろいろな要素がある。すぐ親しくなる人もいれば、構えて相手の様子を探る人もいれば、人を利用することしか考えない人もいる。
 考え方とともに出身地ということも大きな要素である。
 ある地の出身者である友人がその出身地の人間を悪く言う。もちろん当人のことも含めてのことである。

 その土地は明治の初めのころから入植者で作られた土地で、詳しい話は忘れたが、要は苦しい生活を強いられたことから非常に利己的な人間が多いというのである。
 入植して生活が苦しければ人は協力し合うのではないか、と思うがそうはならないと言う。そのDNAが今でも残っているから、この地の出身者には気を付けた方がいいと忠告する。確かに土地柄が人の生き方、考え方を決めていることはある。

 コロナ以後人と会う機会が減ったような気がする。何より人が歩いていない。
 ある知人の年賀状には、コロナになって人と会う機会が持てないが、それも慣れるとなかなか居心地のいいものです、というような添え書きがあった。

 人との付き合いより、人と疎遠の方が居心地がいいというのであるから、コロナはタチの悪いはやりやまいであるが、人の本音を引き出す作用もあったようだ。

 ゴルフを始めたころ仲間の一人から「ゴルフがうまくなると友達を失うよ」とラウンドしながら声をかけられた。
 「早くそうなりたいね」、と私は言葉を返しが、その後本当に友達がいなくなった。(了)

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