昨日は9月1日の関東大震災の日から初めての日曜日であったからか、NHKなどは地震関連番組を再放送を含めて放送していた。
あまり見たくない番組であるが、怖いもの見たさに用事をしながら見てしまった。
恐ろしい話である。南海トラフ大地震ではマグニチュード8.9、震度7が連発、30数万人の死者、国そのものが衰退。
首都直下地震では数百万人の帰宅困難者、2万人を超える死者、群集雪崩、真っ赤な炎に包まれるスカイツリー。
こんな大災害が間近に迫っていることが公共放送で報じられている。どういうことなのだろうか。
こんな大災害が迫っているというならパニックになるか、日本中が慌てふためいて津波の防波堤とか避難施設を建設とか食料の買いだめとかしていなければならないはずである。空想劇場ではないからだ。
日曜の昼下がり、「コーヒーでも飲みながらごゆっくり番組をお楽しみください」、とはさすがにアナウンサーは言わなかったが、怖い思いと不思議な思いが交差した数時間であった。
いまさらであるが日本は世界にも類を見ない地震国であった。この国に住む者として受け入れざるを得ないが、この国において最も大事なことは大災害から国民を守ることではないか。
50年、100年単位で大地震は各地で確実に起きている。そうであるのに政府の対策というものがハッキリと見えてこない。
国も都ももちろん対策を行なっていると思うが、どうもその程度が一桁も二桁も違うような気がする。
地震は避けられない、犠牲者が出るのは仕方がないという前提があってすべてが行なわれているような気がするのである。
80歳を過ぎた一人暮らしの老人に「自分の命は自分で守る」と防災係の人が伝えるシーンがあった。
こんな巨大地震から自分の命は自分で守れるだろうか。大地震の発生が自己責任のようである。
避難も食料も便所もすべて自己責任とするのがこの国である。政治家は防災服を着て様子を見に行けば、被害者対策をしたことになる。
東京の高層ビルやタワーマンション。長周期地震動だけでなく倒壊の恐れすらあるという。
高度制限や容積率の緩和政策を実施したとき、地震に対してどのような検討がされたのだろうか。
埋立地に林立するタワーマンションはアーバンライフを楽しむには絶好なロケーションであるが、想定される危険はパンフレットになかったのであろうか。
町中に張りめぐらされた電柱電線はなぜ地中に埋設しないのか。
目を上げて見てみれば電線の設置はひどいものである。まるで蜘蛛の巣のようだと言ったら蜘蛛が怒るだろう。
安全に対する配慮は全く無用、とでもいうように無造作につなげてある。避難の障害物になることは目に見えている。
何故シェルターを作らないのだろうか。大都会においてはなにより避難先の確保が大切である。電車や道路が安全に復旧しなければ家には帰れない。便所も大量に設置すべきだと思う。
最近病院や学校などに鉄製のいわゆる筋交いを見かける。見た目にはあまりよくないが地震には効果があるのだろう。
昔から地震対策は筋交いであった。見た目の格好良さより安全である。建物だけでなく町全体が筋交いをするべきである。
極端に言えば、日本は国家予算の全額を災害防衛費にしてもいいのではないだろうか。何十万か何百万かもしれない国民の命が危険にさらされているのである。
国民を守らずして国家とは言えない。こんなに危険が迫っていると言いながら政府の対策は「被害想定」である。
東京都の死者想定は6150人だそうである。どこからこんな細かな数字が出てきたのであろうか。細かく想定したから被害対策は万全だともいうのだろうか。
大災害から国民を守る防衛費。外国の侵略に対する防衛費。どちらが大切なのか。
「ウーン、難しい問題だ」と考え込むなら、何千年にもわたる被害を無視することである。
話はいつもの話に戻る。「日本は地球上において人類が生息するには最も危険な地域である」。明治時代に来日したイギリスの女性学者の言葉だと聞いている。(了)
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