防衛費よりも防災費

つぶやき

 きのう、阪神・淡路大震災の映像が放送されていた。なんとも凄まじい光景が広がっている。高速道路は倒れ、ビルは傾き、いたるところ瓦礫の山。燃え続ける神戸の街。人々は真冬の街に放り出されてしまった。

 真冬の寝込みを襲うというような地震。
 今朝5時頃のニュース番組で、当時のある病院の状況が映し出されていた。次から次と瓦礫の中から助け出された人が心肺停止の状態で運び込まれてくる。
 医師たちは懸命に救命処置を行うが、10分、15分経っても蘇生しない。
 医師たちは決断しなければならなくなる。ひとりの患者に時間をかけていられないからだ。

 その映像に映っていた医師がインタビューに答えていた。決断のつらさを思い出したのか、涙を流していた。

 以前姜尚中氏が、日本は世界に類を見ない地震国であるから、国家の威信をかけるものは防衛費ではなく、防災費だというようなことをテレビのワイド番組で話していたことがあった。

 出演者のやり取りの中で、突拍子もないような姜氏の発言であったようだが、確かに姜氏の言うとおりである。
 国は防災対策をしていると思うが、これでもかこれでもかというくらい、考えられることすべてをやるべきではないだろうか。
 地震対策も個人責任のような感がある。国がなによりも国民の安全のために地震対策を行うという気構えがない。

 この話も以前書いたことだと思うが、阪神・淡路大震災における避難所の状態はひどいものがあったらしい。
 プライバシーに対する配慮は全くなく、体育館の床の上での毛布何枚の避難生活。トイレは汚濁にまみれ、そのため体調をこわす人が多かったようだ。女性が性被害にあったという話も後年報じられている。

 何度か書いたことだが、愚かにも避難所にある石油ストーブを市の職員が使わせなかったという話がある。
 ストーブがない避難所との公平に欠ける、ということがその理由であったらしい。

 日本の社会にはなにか思考を遮断してしまう慣習というか、建前というか、そんなものが幕のようにぶら下がっているような気がする。
 正確には「日本の社会」ではなく、「日本の行政」というべきであった。

 災害に対する対応は上司のハンコではない。その辺がまだ打ち破られていない。

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