防衛費そして地震

つぶやき

 プーチンのウクライナ侵略、北朝鮮のミサイル発射、中国の覇権主義。日米安保や平和憲和があるから日本は大丈夫だなどと言っていられる時代ではない。

 地球儀を見るまでもなく、これら三国に日本は隣接しているではないか。そして日本は、これら三国が敵とみなすであろうアメリカの出先機関である。

 世論は防衛力の増強に関して拒否反応を示さなくなった。それどころか大いに軍備を進めるべきだという意見が日増しに多くなってきているようだ。

 憲法の前文の1節が頭に浮かんだ。たしか自国の安全を、他国民を信頼することによって得ようとする趣旨のものである。あらためて読んでみた。
 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(前文中段冒頭部分)

 また後段の冒頭はこうである。
 「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」

 信頼することでわれらの安全と生存は保持できるのであろうか。なにを寝ぼけたことを言っているのか、という文章である。
 私は改憲論者ではないが、憲法前文は現実と離れた単なる理想である。国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う、と言うがこの憲法を賞賛した国はあったのであろうか。

 防衛費をどこから捻出しようと国民の税金であることに変わりはない。しかし防衛費を増やして本当に日本を守れるのであろうか。
 防衛という国民の命に関わる問題が、単なる政治日程の一つにすぎないように見えるのである。

 なにかあった時は敵は鉄砲で攻めてくるわけではない。ミサイルで攻めてくるのである。事態が重大になればそのミサイルに核が搭載されているかもしれない。

 そんな時代の国防を考えなければいけないのに、国防費を増やしてアメリカから年式の古い軍備品を買うことを国防と考えているようだ。今の政治家には国防を議論する覚悟がないのではないか。

 冬になった。冬は嫌いではないが、冬の地震はイヤである。
 近いうちに大きな地震が来ることは覚悟しているが、とはいえ毎晩それを想定して寝るわけにもいかない。
 枕元に暖かい着るものを置いているが、地震がきたらどうするのであろうか。
 表に飛び出すことができればとりあえずは助かるかもしれないが、寒さにどうしたらいいのだろう。
 地震は昼間起きるものとは決まっていない。冬の深夜の大地震。誰もが心配していることだから口に出すべきではないが、本当に気が重い。

 阪神淡路大震災のとき、ある避難所にストーブがあった。
 その地の市役所か区役所か知らないが、その役所の職員がせっかくあるストーブを使用させなかったという話がある。
 理由は他の避難所との公平であるという。
 ストーブを使用させなかった市の職員は、両手を広げて阻止したのであろうか。
 どんな顔をしてストーブを使用できないことを市民に説明したのであろうか。他の避難所との公平ということの是非より、この職員が気になった。

 我が家は屋根塗装や外壁塗装は行ってきたが、耐震工事はしていない。何年か前に耐震診断をしてもらったが、大きな地震がくれば耐震力はないようだ。
 耐震工事をしようと知り合いの工務店の担当者と話をしたら、大きいのがきたらみんな同じだ、耐震工事をしても建物がつぶれるのにすこし時間が延びるだけで倒壊は避けられない、と言う。
 そんなものかと思うが、その後何もしていない。阪神淡路大震災は1月。東日本大震災は3月だった。

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