阪神・淡路大震災から30年。その頃マンション住まいであったが、明け方大きく揺れたことを思い出す。
6434人が犠牲になった。長田地区の火災がひどかった。
阪神・淡路大震災を忘れてはいけないと思うが、実はあまり被害実態を知らない。知っているのはテレビの映像と新聞の記事だけのことである。
人の悲しみに心を寄せることはできるが、同じ悲しみを持つことは出来ない。
寅さん映画に、地震後の長田地区を歩く寅さんの姿があったように思う。その映画を観てはいないが、新聞の広告などで目にしたのか、その記憶が深く残っている。
そのとき渥美さんは肝臓がんが悪化していて、歩くのもやっとという状態であったらしい。渥美さんは地震の翌年8月に亡くなられている。悲しげな後姿があった。
震災後、鳥越俊太郎さんが黒の上質そうなコートを着て、被災地を歩く姿をニュースで見た。ポケットに手を突っ込み、現地レポートをするのだが、なにか嫌なものを感じた記憶がある。
あるブログ(にほんブログ村ではない)に、大地震などの災害があったとき、どうしてニュースキャスターたちが先を争って現地へ行かねばならないのだろうか、と書いている人がいた。
確かに彼らが現地に行ったところで特別な報道ができるわけではない。
「彼らキャスターがいちいち無理をして英雄気取りで現地へ出かけて行くのは、自分も『現場』にいるということを絵にして示したいからとしか思えない。強行軍のとんぼ帰りで被災者の手を握って帰っただけの筑紫に、村山首相のおざなりな“視察”を笑う資格などあるはずがない」と述べているが、そうかもしれない。
当時のキャスターと言えば、筑紫哲也氏、鳥越俊太郎氏、木村太郎氏、宮崎緑氏、蓮舫氏という名前が上がる。久米宏氏は現地からの報道はせず、スタジオから出ることはなかったらしい。
私が鳥越俊太郎氏に感じた違和感も、このようなことなのだろうか。
災害の当事者ですら伝えることが難しいというのに、キャスターが語ることには無理がある。
木村太郎氏の発言なども、何も分かっていない人の内容である。
阪神・淡路大震災以後、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震、昨年1月の能登半島地震と、震度6強、震度7という大地震が続いている。
亡くなられた人のご冥福をただただ祈るだけである。
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